2019年3月31日日曜日

十年一日千秋

 どうもこんにちは。おはようございます。こんばんは。そういうわけで三月も到頭晦日を迎えてしまい、桜もいろんなところで満開を迎え、愈愈平成三十年度も終わりを迎えるのであります。そういや平成も終わるんだってね。
 そんな良き日、平穏なる春の只中である日曜日、だというのに朝から僕はウェブ日記を書いています。そうです僕はいまも、あの頃のあなた方がそうだったように、未だに自分のホームページを運営しています。あの頃から何も進歩していません。十年一日とはこのこと、あの頃から変わったことといえば歳をとり、うんと体力がなくなったことと、日本語の入力方法がローマ字入力から親指シフトに変わったことくらいでしょうか。あとは何にも変わりません。あの頃から既に頭は禿げてしまっていましたしネ。
 そうなのです。僕は平成がまだ十年代だった頃から、ずっとホームページを作っているのです。人間関係を脇に置いてホームページ作りにうつつを抜かしていましたから、人間関係も極めて薄くなってしまいました。お金にはちっともなりません。そうして振り返ってみると人生を随分浪費してしまったような気がして、我が事ながら愕然となります。が、まあこれもひとつの人生ということなのでしょう。電気グルーヴの前身なのでしょう。諦めと思考停止が上手に出来れば人生は随分楽になります。それがうまく出来ないので困っているんですがね。でもまあそこそこ面白いからいいや。

 閑話休題

 イチローが引退会見で妻たる弓子氏について「ホームゲームの時には毎朝おにぎりを握ってくれていた。その数が総計で二千六百個ぐらいのところで引退になってしまい、三千個まで到達したかったと云っていた。実現させてあげたかった」みたようなことを云っていたのだが、それに対してネット上で「妻に対するモラハラである」みたいな意見を表明しているトン吉チン平カン太な人がいて、しかもその発言にいいね!ボタンを押すようなくるくるぱぁみたいな人がたくさんいるということで、なんかもう、こういう連中はどこか、我々一般の人間の目に触れないところに隔離した方がいいと強く思う。
 ネットの辺境というか、特別なSNSを作ってそこにこういう手合いを全員集めて、好き放題なことを云わせて過ごさせればいいんだと強く思った。そうして我々の目には触れさせないようにした方がいいと思った。ネット上の阿片窟みたいなところに押し込めてしまった方がいいと激しく思った。
 ほんと、こういう手合いが伸び伸びと物を云っている姿を見るにつけ、こんな世界ができあがるために何十年も前からパソコンやネットに付き合ってきたんじゃねぇぞこんちくしょう。という気分になる。

 閑話休題

 someone to watch over me.

 閑話休題

 なんというか、ネットサーフィンをしていると、時たま、未だにフォントいじりをやっているブログを見つけることがあって、その度に、いやあ、面白いなあ。すごいなあ。『侍魂』が流行ったのって何時のことだよ。みたいなことを思って心嬉しくなる。ファッションみたいにリバイバルの面白さとは全然違うしね。

 閑話休題

 思えばあの頃からフォントいじりが嫌いだったよ。面白いことを云うときに声が大きくなる人の無残な感じ、いま私は面白いことを云ってるんですよー! と全身から発信するあの無残な感じ、ダメなテレビ番組の五月蝿すぎるテロップの感じ、などと同様の気がしてほんと嫌いだった。あの頃、そうしたフォントいじりが読み手にウケていると知ったときには本当にイライラしたものだったよ。

 閑話休題

 森繁や渥美清の捨て台詞みたいに面白いことほど普通の感じで云うのがいいと思うけどね。

 閑話休題

 同じリズム、テンポで続けるというのはとてもすごいことで、先般最終回を迎えた朝ドラ『まんぷく』などはまさにそうで、私はここで以前、朝ドラの枠を超える突き抜ける瞬間がなかったことに少し不満を感じる、なんてなことを書いたのだけれど、件の最終回を視聴して、いや、そうではない。これはすごいことなのだ。予定調和を完璧にやり遂げるとそれは横綱相撲になるのだ。と思って大いに感心したのだった。

 閑話休題

 で、私は『まんぷく』は通常BSで朝の七時半から視聴していたのだけれど、BSの時間割ではその直前である朝七時十五分から以前の朝ドラを再放送している。今期はそれが『ぺっぴんさん』であり、本放送の時には観ていなかったからいい機会だと思って観ていた。
 埼玉県出身の菅野美穂が関西弁のイントネーションでナレーションを務めている時点で、このドラマ結構やばいんじゃないかと思って観ていたのだが、後半になるにつれ、そのやばさは倍加していって、最終的にはものすごく面白いものになった。というか、なってしまっていた。
 このドラマは戦前から高度経済成長時代が終わるまでの長い時代を描いているのだが、役者の入れ替わりが基本的にない。メインキャストのほとんどは二十代前半から半ばの皆さんで、その皆さんが十代から七十代まで演じるから、ドラマの中で時代が進むにつれて画面の中がとんでもないことになってくる。
 結果として見るからの若者が安っぽい老けメイクと老け芝居で老人役を演ずることになり、画面の絵柄だけを見るとほとんどコントになってしまうんである。画面の中に三世代が同居する場面など、画面の中に小供ばかりが集まって家族の問題を話し合っているようにしか見えず、結果的にすごく面白い画面になる。
 こういう意図しない面白さっていうのは何者にも代えがたいネ。

 閑話休題

 『カーネーション』で主役が尾野真千子嬢から夏木マリに変わったのもこれを避けるためだったんだろうなと改めて思った。ただ、オノマチの巧さならたとい百歳の役でも説得力を持たせられただろうけどネ。

 閑話休題

 四月一日からBSで『おしん』の再放送ですってよ奥さん!

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。愛用のグーグルプレイミュージックにチャラン・ポ・ランタンの新アルバム『ドロン・ド・ロンド』が入ったのでそればかり聴いていますよ。チャラン・ポ・ランタンはほんと聴いていると愉快な気分になるン。








ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...