2018年6月30日土曜日

送り手と受け手の間には暗くて深い河がある

 いやはや。再放送している『カーネーション』を毎日録画して観ているが、こんなによくできたドラマってなかなかないよなあ、と日々感心するばかりでございますよ。本放送の時から数えてもう三度目の視聴になるけれども、どこまで張り巡らされたシナリオなんだ、と目眩がするくらい。勿論、作りながら思いつく部分も多いのだろうけれども、それにしたって、あの場面あの台詞がここで生きてくる、という連続物の醍醐味がこれでもかと詰まっていて、本当に奇跡のように面白いドラマ。

 閑話休題

 いま、再放送の進行状況としては、重苦しかった太平洋戦争中の部分が終わり、戦争の間、虐げられていた洋服とパーマネント、つまりはお洒落が全盛を迎えようとする大変に前向きな時代へと移り変わったところなのだが、登場人物が、皆明るく振舞っているのが、戦時中部分が辛かっただけに、余計に楽しく感じられる。
 このあたりを観ていて、いつも思い浮かべるのは、獅子文六氏が著した『大番』という大変に面白い娯楽小説に出てきた終戦直後の場面で、焼け野原の東京にあってバラック建ての喫茶店を始めた主人公の友人を描き、そこに、主人公の雑感として「厳しい状況の中、皆が不思議なほど明るい」みたいな一文があったことで、ああ、きっとそうだったんだろうなあ、と強く思う。人間ってそういうものなんだろうなあ、と思う。

 閑話休題

 話は変わるようであまり変わりませんが、まあなんてんですかね、作り手自身が「神回予告」なんてやっているようじゃあ、二進も三進も行きませんわぃね。「神回」なんてのあ観る側が使う言葉だもの。言葉に対してこういう感じで鈍い人が作るドラマが面白い筈ァないもの。

 閑話休題

 本当に話は変わりますが、しかしまあファンなんて勝手なもので、八十年代から九十年代にかけて最強を誇ったプロ野球の西武ライオンズも、仕舞いには当たり前のように勝つから客が入らない、みたいなことになり、当時の森祗晶監督が、リーグ優勝を果たしたにも関わらず哀れ退陣した、てなことがありましてね。面白く勝つ、というのはやはり二兎を追うもので相当に難しいことなのでしょうな。まあそれをやるからプロ、という気もしますがね。

 閑話休題

 しかしこの、ワールドカップの時に渋谷や心斎橋に大挙現れる日本風フーリガンの模様をニュースなどで見るにつけ、世の中にはこんなにもたくさんのウェーイ系の人々がいるのかと思わされ、かなり暗澹たる気分になる。彼ら彼女らの有する、表面的に楽しいことが唯一の正解、みたいなパワーは、同調圧力の中でも相当に強いものだからね。
 あの映像を見るたびに、ほんとあいつらまとめて二・二六事件で厳戒態勢だった頃の東京にタイムスリップしてすごく困ればいいのに。とか思います。

 閑話休題

 いま、東京メトロポリタンテレビジョンでは、大阪発の番組である『怪傑えみちゃんねる』が土曜日の朝七時から放送される、という暴力的な行為が行われているのだけれども、しかしあれですかねぇ、この番組で顕著な上沼恵美子師の”上からモノを云う感じ”というのは、当節、すごく嫌われるのだろうなあ、とやはり思ってしまいますな。
 斯く申す私なぞは、別段、師に対する嫌悪感もなく、どころか、海原千里・万里時代のビデオをわざわざ買い求めたりしていたクチですから別段不満もなく面白く視聴していますが、こういう高圧的と取れる芸風を、殊の外嫌う人というのがそれなりの数いるのだろうなあ、そうしてそういう人々はすぐに気にくわない! と、ツイッターなんかにあげるのだろうなあ、と思います。同時に、そういう人たちって、物事に対してそんなに不寛容で毎日辛くならないのかしらん、なんて思いますです。
 でもまあ、いくら大御所とはいえ、上沼師に対して突っ込める人がいた方がより面白くなるとは思いますがね。しかし現実的にそれができるのは、鶴瓶・さんま両師ぐらいのものでしょうか。返す返すも上岡龍太郎師がいまいればなあ、と思います。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ほんと、山崎康晃投手はもうちょっとスパッと抑えてくれないかしらん。ひょっとしたら「ランナーが出た方が自分にスイッチが入る」みたいな感覚を持っちゃってるのかしら、なんて勘ぐりをしたくなるくらいに簡単にランナーを出す。ハッキリ云って人気と実力にまだ開きがあるよ。大魔神の全盛期を10とするなら、現状はまだ5に届くかどうかというところだ。これで投手として完成だとは思いたくないんだよなあ。





2018年6月27日水曜日

花に嵐のたとえもあるさ

 うーん、やっぱりあれだろうなあ、ネットウォッチ、というものは早晩、その存在自体がなくなるのだろうなあ。ネットウォッチってのはネットでしか見られぬ無名ながらも面白い人々を観察するものだったと思うけれども、これだけネットが浸透してしまうと、もうそういう、ネットの特殊性に特化した面白い人が出てくるとは思えんのだよなあ(そらあ狭い範囲では出てくるだろうけど……)。
 それに、今やネットで有名になり確固たる地位を獲得するというのは普通の有名人と変わらぬ状況だし、そうなると最早ネットウォッチ的な面白さはなくなっちゃうン。
 なんというか、あの頃のネットにあったものが少しずつ消えてゆくね。

 閑話休題

 うーん、でもあれかあ、これだけSNSが発達すると、世の中全体がネットウォッチ的になっているとも云えなくも無いのか。SNSを少し閲するだけでも次から次へとばか者が炙り出されてくるものなあ。探していなくともどんどんばか者がバカみたいなことをやるんだものなあ。そうなると、娯楽というか面白いものとしてのネットウォッチっていうのは自然、なくなるわな。

 閑話休題

 しかしこういうことを考えていると、本当に時代が変わるのが早いなあ。なんて思ってしまいがちだけれども、私なんかが常々思ったり云ったりしている、ネットが桃源郷だった頃ってもう十五年以上も前の話なんだよな。ヤフーが街角でADSLのモデム配ってた頃の話だもの。不肖私めが『十億アクセスの彼方に』を作ったのだってもう十四年も前の話だもの。あの頃中坊だった連中がいまやアラサーだ。年間262本もヒットを打っていたイチローがいまや半引退状態だ。
 いま自分の肌感覚で捉えている時代の空気、それはもう何年も遅れているものだと思っていないと、どんどん時代に取り残される。

 閑話休題

 若いというか小供だった頃、大人ってどうしてアイドルの名前とか知らないんだろう、知らないことに対して不安になったりしないのかなあ。と不思議に思っていたものだけれど、いざ自分が大人になってみると、別段、知らなくっても困らないのね。AKBの選挙で上位をしめた人の名前や顔が全然わからなくっても全く不安なんか感じないのね。だってもっと面白いもの素晴らしいものをたくさん知ってるんだもの。大人っていいよね。

 閑話休題

 ああ。スーパー・ストロング・マシンも引退したし、ビッグバン・ベイダーも死んじゃったなあ。
 マシンがまだマシン1号だった頃、両国国技館での藤波辰巳との一騎打ちを観たよなあ。藤波が永年封印してきたドラゴン・スープレックスを解禁した日でなあ。ついこないだのことだと思っていたのにあれからもう三十三年も経っているじゃないか。あの頃生まれた赤ちゃんがもう綾瀬はるかになっているじゃないか。どうなってるんだ。お前は平田だろう。ゴー・マシン・ゴー。
 ベイダーがたけしブロレス軍団の刺客として両国国技館に登場、不透明な展開に国技館で暴動が起きたのだってもう三十一年も前の話だ。ベイダーとソ連(当時まだソビエト連邦があったんだよな……)のアマレスチャンピオンだったサルマン・ハシミコフとの一騎打ちを観に行ったなあ。負けたハシミコフが泣きそうになりながら花道を走って去って行ってなあ。
 なんかあれだよ、ずっと観ていた人が引退したり死んだりすること、それ自体ももちろん寂しいんだけど、上に挙げたような自分の体験・記憶が、現実との繋がりを失ってしまう感じがするから余計に寂しいのかもしらんなあ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。まあほんと、我がベイスターズも糞詰まりみたいなゲームが続いているけれども、そんな中でもしっかり選手層が厚くなりつつあるのは存分に感じるから、来年以降はすごくよくなるんだろうと思う。いまのカープみたいになるんだろうと思う。思い返せばゼロ年代なんて、ただでさえ記録的なペースで負け続けているのに未来への展望も全然見えてこないという地獄だったからなあ。




2018年6月25日月曜日

こーこはどーこの多元宇宙じゃ

 しかしあれだなあ、古くからネットをやっている人間ほど、いまやネットとリアルは陸続きになった、って一層強く思っておかないといけないのだろうなあ。ネットとリアルが隔絶されていた頃、ネットの空間には、リアル世界では感じられない桃源郷めいた居心地の良さがあったから、どうしてもその甘美な記憶が抜けきらない部分があるものね。
 リアルの世界で基地外を見かけたらなるべく近寄らない&警察など然るべき組織や機関に相談・通報するのが常道であるように、いまやネットの世界でも基地外を見かけたらなるべく近寄らず、然るべき組織や機関に相談・通報するのが常道となったのではなかろうかね。世知辛いというか、嫌なネット世界になったと暗澹たる心持ちになるけれども、こればかりは仕方がない。
 ネットが皆に行き渡り、SNSという自意識・自己愛を肥大させる装置が手に入ったのだから、それ様にいろんなことが起きてくる。現状、皆、手に入れたばかりのこの装置をどう取り扱っていいかよく分かっていないままに使っている、みたいな過渡期にあるんだろうね。

 閑話休題

 話はすっかり変わるけれど、そうだよなあ、大抵の男は木南晴夏嬢のことが好きだと僕は思うなあ。ああいう自然体というのか、浮ついたところのなさそうな、いつも変わらずそこにいてくれる感じ、というのか、そういう感じの女性のことが大抵の男は好きなのじゃないかしらん。麻生久美子嬢なんかにもそういう感じがあるよね。で、そうした自然体女性の頂きにいるのがの樹木希林氏だという気がするン。

 閑話休題

 そらまあ玉木宏氏と木南晴夏嬢が結婚するっていうんなら、御両人ともテレビなどで見知っているからニュース・ヴァリュウがあると思うけれど、近頃、モデルの誰それと誰それが結婚した、みたいな、夫婦どちらの名前を聞いても誰だか判然としない、みたいな人たちが結婚や婚約したというニュースが、ニュース系のアプリなどを眺めていると飛び込んでくることがあって、こういうのを見るたびに、これは間違った情報社会だよなあ、と思う。どこかで時間の軸がずれて、本来繋がるべくもない別の多元宇宙に繋がってしまったのじゃないか、という気がしちゃうン。

 閑話休題

 多元宇宙といえば、この十年ほど、ごく偶にではあるが秋葉原に足を運ぶたび、この街はどこかのタイミングで別の宇宙に接続されてしまったんだろうな、と思ってしまう。
 八十年代後半から九十年代半ば、即ち世界に冠たる電気街だった秋葉原を存分に過ごした身からすると、石丸電気もラオックスもミナミ電気館もヤマギワも廣瀬無線も、すっかりなくなってしまうなんて、とても考えられない。絶対どこかで時間軸が別の宇宙に繋がってしまったに決まっている。だから僕は、未だ、世界に冠たる電気街のままの秋葉原が存在する別の宇宙がどこかにあると睨んでいる。
 だってさあ、平日の午前中に会社員の皆さんが普通にスーツ着て仕事の感じでたくさんいる秋葉原なんてどう考えても変じゃん。平日午前中の秋葉原なんて、ひと気があんまりなくて、人生の行き場を失った人々の吹き溜まりみたいだったでしょうよ。それを思うとやっぱり幾ら何でも変わりすぎだって。あり得ないあり得ない。

 閑話休題

 ううむ。『マリオテニス』を買ったから試しにネットトーナメントに参戦してみたらいきなりぼこぼこにされてとても悲しかった。これが『マリオカート』だったら八人だか十二人だかで競争するからまあネット対戦で負けても敗残のショックはさほどないのだけれど(レース中の順位変動が大きいしネ)、『マリオテニス』は一騎打ちだからぼこぼこにされるとまじへこむ。まあ任天堂のゲームだから、繰り返しあすぶことで自分が上達している感、を強く覚えられるから、あすんでいて楽しいんだけども、いやあ、それにしたって、誰の目にも中年と映るような年恰好になって、ここまでの敗残の心持ち、何もでききない惨めさ、手も足も出ない情けなさ、を味わうとは思ってもみなかった。
 やっぱりゲームであすぶってのは、いろんな意味で面白いや。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』とてもいい映画でした。



2018年6月17日日曜日

汝の対象を愛せよ

 多方面で多方面な話題を提供している映画『万引き家族』であるが自分はまだこの映画を鑑賞していない。が、この映画のタイトルならびに粗筋を聞き及ぶにつけ、自分の脳裏に想起されるのは植木等氏が主演した『<a href="http://toshiakis.at.webry.info/201005/article_1.html" target="_blank">喜劇・泥棒大家族 天下を盗る</a>』であり、自分はこれをおよそ八九年前、したまちコメディ映画祭で観たのだが、いやはや、大変に面白い映画で、そう銘打ってはいないものの完全なる正調クレージー映画のノリで、できたらもう一度観たいとずっと念願しているのだが、権利関係がどうとかこうとかでソフト化されることがなく一向に叶わない。
 映画の後半、それまで跛引き引き漸う歩いていた植木等氏演ずる主役の男が突如として真の姿を現し、無責任男としか表現のしようがない活躍ぶりを見せるところなどまさに大喝采もの。基本的には群像劇なのだが、そのあたりの面白さも抜群で、いやあまじで観たい。なんとか権利関係をクリアしてディスクでも配信でもいいから観られるようにしてもらえませんかね、というお話し。

 閑話休題

 齢を重ねてくると記憶がたくさん出来てくるからどうしても現在の事象に対してすぐに関連するような・似ているような過去の記憶を引っ張り出すことが先に来るようになってしまう。記憶の中に生きる時間がだんだん増えて来る。

 閑話休題

 しかしあれだね、Twitterなんかであらゆる事象に対して自分の主張、右掛かっていたり左掛かっていたり、そういう主張を投げつけてくる人を見ていると、もはや大喜利だよなあ、という気がしてくる。手前ェの主義主張を表明する/押し付ける為にあらゆる事象・話題を利用する輩が多くて、なんだか暗澹たる気持ちになる。ほんと、あの手の連中を見ていると、どこまでの話題ならば自らの主義主張に結びつけることができるか、という大喜利をやってるように見えるン。

 閑話休題

 過日『タモリ倶楽部』を観ていたら信号機マニアの若者が登場していた。番組の中でその彼は、信号機に対する愛情に満ちた個人サイトを運営していると紹介されていた。
 そうなんだよなあ、インターネットの醍醐味の一つってそういうことなんだよなあ。商業ベース、とてもマスコミには乗ることがない個人の異常な趣味(同好の士がほぼいないような!)、みたようなものが観られること、これが面白かったんだよな、と思った。行き場のなかった対象愛の迸り、というかね。
 嘗て、ダイヤルアップでインターネットに接続していた頃、私なぞもそういうサイトをずいぶん観ていたっけ。一九〇〇年代前半のクラシック映画をぐんぐんに紹介しているサイトだとか、昭和のプロレスについてぐんぐんに紹介しているサイトだとかね。中でも、プロ野球関連のサイトで、東京スタヂアム時代の東京オリオンズから、現在の千葉ロッテマリーンズに到るまでの変遷を貴重な資料と共に紹介しているサイトなどは、深夜に観ていた時に、その純真さに感極まり覚えず落涙したこともあった。まじで。
 あの時代がもう戻ってこないことは充分承知しているが、それだけにひどく懐かしい。あれからまだ二十年も経たぬというのに。

 閑話休題

 あの頃はここまでインターネットが人々の自己愛で満たされるようになるとは夢にも思わなかったよ。まあそう云っている自分もこうして自己愛を放出しているのだから同じ穴のムッジーナだけど。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ああそうそう、先日、有楽町は朝日ホールで開催された五代・桂三木助襲名披露口上を観てきたけれども、いやあ、新・三木助師はいいねぇ。まだ三十半ばだから重厚感というか貫禄はないけれども、なんというか、芯のところが頑丈な感じがして、東京の落語を存分に聴いた気分になる。自分は当然、当代の祖父にあたる三代目・三木助はリアルタイムでは知らず、テープでしか聴いた事がないけれど、不図したときの声音や口調がやはり似ているように感ずる。当夜演じた談志家元に教わったという『五貫裁き』も良い意味で小ざっぱりとしていてまことに程が良かった。これは落語家に限らないけれども、登り坂にある人を観るのは楽しいネ。

 閑話休題

 <a href="http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/" target="_blank">僕のホームページ</a>もよろしく。さてさて自己愛が強いのでしょうかどうでしょうか。

2018年6月15日金曜日

御礼旁々ご挨拶まで

 そういうわけで一年半以上ぶりに、自分のホームページに作品をアップすることができて私はいま、結構安堵しています。私ごとで恐縮ですが、この三年くらいちょっと大変な状況が続き、ああこれはもう愈々、みやかけおをやってる場合じゃないかなあ、と悲観しておったのですが、やはり時間の経過とは偉大なもので、大変な状況も次第に落ち着き、どうにかこうにか、みやかけおであることを続けられそうだ、となり、この分であればまあなんとかずっとやって行けそうだと思っておる次第です。
 作品をご覧いただいた皆さま、ツイッターでリツイートやスキをして下すった皆さま、ありがとうございます。亦、ご覧いただいていない皆さまにおかれましては、時間的にはすぐに観終えられる短い作品ですので、ご笑覧いただきますれば幸いに存じます。よろしくどうぞ。

 『<a href="http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/v2/works.html" target="_blank">thumbs up!!</a>』リンク先、最新作、とあるところからどうぞ。

 閑話休題

 でもやっぱりなかなか難しいのは、昔に比べて体力が落ちているので作るに当たって集中力が続きません。将棋の羽生名人も、集中力を下支えするのは体力と申されておるようですが、実にその通りで、特に、笑いに関してはやはり作るには余計に体力がいるように思います。
 泣かせたりするのははっきり云って簡単なように私なぞは思います。1+1=2をやればいいのですから。ある状況の中に人間を放り込んで、その状況に即した形で人間を動かせばそこそこの話が出来上がるように思います。関係の厚い人が死ねば無論悲しい、そんな当たり前のことを直截に描けばいいのですから。
 翻って笑わせることは、1+1=5をやって観る側を満足させることのように思います。ある状況の中に人間を放り込んで、その状況とは異なる動きをその人間にさせなければなりません。関係の厚い人が死んだのに可笑しいと思わせる部分を見つけ、そこを描こうとするのですから、まじ面倒です。捻りを加えるのですからやはり体力が余計に要ります。
 でもだから作っていて面白い、とも思うので、僭越ながら私なぞも、観てくださる皆さんを、たとい一瞬だけでも笑わせることができたらいいなあ、と、いつも念願しておるのですが、なかなか難しくって思うように行きません。また私の場合はインターネットの体裁にドラマ的なことを入れるという非常に無体なことをやっているので、余計に面倒です。と、自分で自分のやっていることはとても大変なことだ、と誉めそやすことで自分を盛り上げます。すごいぞ俺。偉いぞ俺。天才だ俺。いいぞ俺。って、とほほ。

 閑話休題

 なんと云うか成る程、たいこ持ち・幇間と呼ばれる職業ってやっぱり必要だったんだろうなあ、と思うネ。偉くなればなるほど、人から悪く云われることも多くなるのだろうし、人なんてそんなに自信を持ち続けられるものじゃあないしね。西洋の王様が道化師を傍に置いたのもそういうことなのかもね。そうして褒めてもらったり笑いの中に本音を云ってもらったりすることで、人間的な心のバランスを恢復させるのかもしらんね。

 閑話休題

 あとあれね、昔はインターネットが世間と隔絶されていたから、陽の当たらないところで安心して作品を作って遊んでられたんだけど、いまは世の中と陸続きになってしまっているから、本当に笑いを作って世の中を渡っている人と同じ光がこちらにも射し込んできちゃう。結果、所詮俺なんて……的な感じになっちゃうからまじ嫌。
 仮に自分がいまの時代の若者だったら、作品を作って人前に晒すなんてこと絶対にできなかっただろうなあ。まあ、つまりは今の自分の状況が私の限界、というか、ほどの良いところ、ということです。

 閑話休題

 話は変わるが、首相官邸でのぶら下がり会見というのか、あれの仕舞い頃になると、総理大臣が向こうに去って行ったのを見計らって「総理ー! 〇〇が〇〇と言っていますがそれについてはー!」って、答えがもらえるはずの無いタイミングで声をかける記者ってのが決まっているけれども、仮にあの、声をかけるだけの仕事、があったら是非やりたいね。あれはもはや様式美だもの。成田屋! 的な。

 閑話休題

 そういや、成田屋! みたいな大向こうからの掛け声ってのはあれだってね、開国して西洋が入ってくるまで、我が国には観劇などの際に拍手を送る、という習慣がなかったが為に、あの手の掛け声が生まれたのだというね。確か昔WOWOWに入っていた頃に観た歌舞伎の番組でそんなことを聞いた。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。まあ端っからベイスターズが今年優勝できるとは思ってなかったからねぇ。だって去年だって日本シリーズに出たったって、所詮シーズンは三位なんだから。開幕からこれだけ選手が揃わないのによく五割近辺で保っている。今永ウィーランド濱口が開幕に間に合わなくて石田桑原倉本が経験値リセットの状態だもの。そう考えたらよくやってる。それだけ選手層が厚くなってきたんだろう。三年前の状況でこのぐらい選手がいなかったら断然最下位だ。

2018年6月11日月曜日

近頃の養分

 Googleプレイミュージックでももクロちゃんの曲が配信され始めたから、久しぶりにももクロちゃんの曲をくんくんに聴いているがやっぱりいいねぇ楽しいねぇ。
 現在、アイドルとしてのももクロちゃんが登るべき坂はすべて登ったように見えるけれども、なんつーか、もうこのままの感じでいつまでもいてくれるといいと思う。メンバーがみんな結婚して小供を産んだりするようになってもずっとももクロちゃんでいればいいと思う。そうしていつまでも楽しくしてくれたらいいと思う。時代に動かされない定番になってくれたらいいと思う。

 閑話休題

 Amazonビデオでレンタルした『グレイテスト・ショーマン』を観た。まあ面白かったがなんというか、フランク・キャプラの映画みたいな、当節としては王道に過ぎるようなストーリーと思った。昨今の映画の中では上映時間が比較的に短かく、それでいて楽曲を沢山入れるから話の展開が素早くなっていて、なんつーか、ミュージカル疲れ、みたいなのに襲われずに観終えられたから良かった。

 閑話休題

 Netflixに入っていたから『セッション』を遅ればせながら観たのだけれど、うーん、大変に面白いことには同意するのだけれど、なんだか、まぐれ当たりみたいな映画だなあ、と思いながら観た。登場人物の全員が袋小路に迷い込んでいるような印象で、どこにも行き当たることができない感、が横溢していて、観ているこちらの状態が悪いときだったら、ぐんぐんに落ち込んでしまうだろうなあと思う。
 でも『ラ・ラ・ランド』を観る限り、やっぱりこの監督のまぐれ当たりな映画なんじゃないのかなあ。

 閑話休題

 Netflixで『<a href="https://www.netflix.com/jp/title/80117470" target="_blank">13の理由</a>』シーズン2を観た。正直なところシーズン1ほどの衝撃・面白さはなかったが、それでも存分に面白かった。しかしこの手のドラマを見るたびに思うのだが、メリケンの高校生って普段どんな暮らしをしてるんだ、と思う。自動車通学に始まり当たり前のように酒を飲みドラッグだのレイプだのと、まあドラマの上だから誇張されてはいるんだろうが、それにしたってこれに対して視聴者に違和感を抱かせないだけの現実、リアリティを感じさせるだけの現状があるんだろうからね。しかしシーズン3とかどうすんのこれ。ハンナもう出てこないの。

 閑話休題

 あとNetflixでは『<a href="https://www.netflix.com/jp/title/80161497" target="_blank">ボクらを作ったオモチャたち</a>』というドキュメンタリーが大変に面白かった。ただでさえドキュメンタリーとしての出来がいいところに持ってきて、シーズン2のトランスフォーマーやキティちゃんの回など、日本が大きくフィーチャーされていて大変に親近感を持って観られる。トランスフォーマーの回ではこれを生み出したタカラの人に対する、アメリカ側のリスペクトぶりに覚えず涙腺が緩んだ。
 しかし笑ったのはキティちゃんを紹介する回で、日本における”カワイイ文化”のスターターの役割を担った存在として、松田聖子(『青い珊瑚礁』『夏の扉』『赤いスイートピー』頃の映像が挟まれる)が紹介されたり、更には、瞬間的に”キティちゃん”という文字が映るという理由だけで知る人ぞ知る往年のテレビ番組『3時のおじゃまクイズ』の映像が幾たびも挟まれたりしていて(だから幾たびも番組の司会だった宮尾すすむの姿が出てくる!)、この辺りからも、この番組の熱、みたいなものがよくわかる。

 閑話休題

 Amazonビデオで『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』を特別版のドキュメンタリー共々観た。劇場でも観たから内容的にはまあ初見の時に感じた、内容的にはとても面白いがルーク・スカイウォーカーの取り扱いが兎に角気に入らない、というところと特に変わりはない。
 しかしいちばん面白かったのは、同梱された制作過程を記録したドキュメンタリー映像の序盤にあったマーク・ハミルのインタビューで、氏自身が「この映画で監督が描こうとするルークの姿には全て反対だ。だが映画は監督のものだからその姿の実現のために最大限の努力をする」と云っていることでやっぱりあのルークはダメなんだよ。と改めて思った。自分の心が救われたような思いがした。
 あれがルークの最後だっていうのはやっぱりダメなんだよ。そらまあオビ=ワンもヨーダも、死んだ後も出てきたけど、それだともう物語に深く関われないんだからなあ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ようやくではあるけれども、我が国の商業音楽も、サブスクリプションでの提供・販売が優先順位の一番上になったみたいだね。リスナーの立場からすると、知らない音楽に出会える可能性が高いからこっちの方がいい。


2018年6月8日金曜日

同じことを繰り返し、違う結果を期待しよう。

 しかしあれかね、セリーグの連中ってのは、恥ずかしくないのかね。毎年毎年、交流戦のたんびにパリーグの方が今年も強いだろう、って事前に云われてて、実際、毎年毎年その通りに負けてて。みっともねぇとか思わねぇのかね。永らくジャイアンツの人気にぶる下がってるだけで食えてた根性がいまだに抜けねぇのかね。ほんと、当たり前みたいに負けてやがる。交流戦のセリーグを見てるとなんだか、この期間を仕方なしにやり過ごしてるように見えちゃうン。

 閑話休題

 まあそんな中でも奇跡のような対決が観られる面白さも交流戦にはあって、たといば二〇一五年、横浜スタジアムでのゲームで見られた、<a href="http://news.livedoor.com/article/detail/11909282/" target="_blank">ホークスの柳田悠岐とベイスターズの三浦大輔の対決</a>などは、日本人離れしたパワフルな打撃で今を盛りと活躍する柳田と、四〇歳を疾うに過ぎた現役最晩年の三浦が、ゲームの展開そのものとは隔絶した個人の対決、ストロングスタイルの攻防を見せてくれて、いやあれはまじで面白かった。ベイ・ファンの視点からいうと、あれが出来るからやはり三浦大輔はエースたり得たのだろうな、と強く思ったネ。
 みんなあん時の三浦ぐらいの感じで、知力を含めたポテンシャルのすべてを振り絞ってかかっていけよセリーグの連中。ったくどいつもこいつも躱すことばっかり考えてやがって。そんでアウトコース踏み込まれてガンガン打たれてンだから世話ァ無ぇっつーの。

 閑話休題

 しかし時代は変わったなあ、と思うのは、それはまあ昭和の中頃から既に「人気のセ、実力のパ」なんてことが云われていたが、世紀が改まったあたりからパリーグ人気に火が付きいつしかそれが定着、やがてはセリーグにもその流れが飛び火、ついには、不人気だったベイスターズやカープなどの主催ゲームが連日満員となるまでになった。ベイスターズ対スワローズ戦が横浜・神宮共に満員になるなんて信じられない光景だ。
 さらには、このところAmazonのFireTVのスタート画面に出てくるDAZNの宣伝、そこに登場する複数球団の選手たちのコラージュにジャイアンツの選手が一人もいない。まあこれにはジャイアンツの主催ゲームをDAZNが配信していないという理由があろうけれども、それにしたって、二十年前だったらジャイアンツ不在の有料プロ野球中継なんて迚も成立しなかっただろう。
 ほんと、時代って知らん顔していつの間にか変わってしまうよね。

 閑話休題

 そうそう。時代が変わったといえばSMAP解散以降のジャニーズも下劣なスキャンダル連発で、やっぱ時代が変わったんだ、と、高校時代に北公次の暴露本をクラスのみんなで回し読みした僕は思うのであった。ジャニーさんの手が俺のパンツの中に。

 閑話休題

 だいたい夕方のニュース番組のメイン・キャスターを、特に知的で売っているわけでもなかったジャニーズのメンバーにやらせるって発想自体が狂ってるっつーの。同様に夜のニュース番組で桐谷美玲がキャスターを勤める、ってのもわけがわからない。
 ほんと、普通にやれ普通に。まともにやれまともに。妙ちきりんなことをして悪目立ちしようとすんな。

 閑話休題

 そのうちにヒカキンがニュース番組のキャスターをやったりするんだろうな。テレビかネットかわからんけど。

 閑話休題

 そうしてまた、この十年ほど、日本らしい四季が失われたと僕は思っている。春と秋が無くなり、夏と冬が度を越して苛烈になり、梅雨の時期は快晴と豪雨の繰り返し。剰え当たり前のように各地で雹が降り竜巻が起こる。しかしそうした一年を、四季が失われたと嘆いて過ごすのは、四季の移ろいを豊かに感じられた時分を生きてきた私のような世代以上の人間であって、そうした時分を知らぬ若者や小供たちは、昨今の苛烈な気象状況を当たり前のものとして平気で受け入れ楽しそうに過ごしている。そういうものだ。ハイホー。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。いやほんと、ガチンコ、とか、ガチで、っていう言葉、なんだか汚らしくって嫌ですね。だいたいに於いて符牒とか隠語の類ってのは、本来、表に出る言葉ではないから、大抵汚ならしい響きの言葉ですわいね。


2018年6月3日日曜日

貴方は私の一生もの

 そうして私は、生まれてこの方はじめて中野ブロードウェイへ足を踏み入れ『マカロニほうれん荘展』を観てきたのだった。

<a href="http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/sblo_files/garbage-coll3/image/macaroni.png" target="_blank"><img border="0" alt="macaroni.png" src="http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/sblo_files/garbage-coll3/image/macaroni-thumbnail2.png" width="320" height="240"></a>

 さして広くはない展示スペースの壁面その全てに『マカロニほうれん荘』の原画やイラスト、当時のチャンピオンの切り抜きや双六みたいなゲーム、更には今回の展示に寄せた鴨川つばめ大人のメッセージ色紙などが展示され、それだけでも懐かしさで泣き崩れそうになるというのに、さして広くはないスペースに年齢層高めな善男善女、つまりは私のような大人になりきれない部分を大いに抱えたような人々が大挙参集していたものだから堪らない。身動きを一つ取るにも往生するような有様で、それでもなんとか写真を撮り(スペース内は撮影自由)、九十九折になったグッズ売り場の行列に並び缶バッジなどを買って展示会場を後にした。
 それはまあゆっくり鑑賞したかったというのが本音だが、それよりなにより、今の私を作り上げるのに欠かせない要素であった(というかいまでも外せない要素だネ)『マカロニほうれん荘』の世界に、単なるノスタルジーではない形で浸ることができたというのは全く素晴らしい体験であった。
 そうしてまた、連載が終わってからすでに四十年近くが過ぎているのだが、これだけの人々の中で、きんどーさんやトシちゃん25歳、そうじやルミたんやクマ先生が未だに生き続けていることを目の当たりに出来たのは、まったく素晴らしい体験であった、ってほら、嬉しくって頭がおかしくなっているから立て続けに同じ文言で段落を締めくくってしまったよ。

 閑話休題

 しかしあれかしらねぇ、これだけ面白い『マカロニほうれん荘』にしても、当節のコンプライアンスに照らし合わせるとアウト、の判定がなされてしまうのかなあ。エロ禁止の方面だったりLGBT方面だったり、そういうところから鋒鋩打たれるのかしらん。やあねぇやあねぇあらあらやあねぇあらあら違うのよ。おーっほおっほ。

 閑話休題

 話は変わるがなんで今更『50回目のファーストキス』のリメイクなんだよ馬鹿じゃねぇのかこれだから最近の邦画は。と思って鼻で笑おうと思ったら福田雄一氏と山田孝之氏のコンビに長澤まさみ嬢が加わるギャグだくさんの映画だと聞いてすぐに心の中で、即断して鼻で笑おうとしてどうもすみませんでしたと心の中ですぐに謝まり自分で自分のお尻をぺんぺんしたもちろん心の中で。

 閑話休題

 あーでもあれなのか、ドリュー・バリモアの方は『50回目のファースト・キス』だから違う、ってことなのかしらん。『人間・失格』みたいな、野島伸司的なことなのかな。まあどっちでもいいか。しかしあの頃のドリュー・バリモアは可愛かったよなあ。

 閑話休題

 近頃僕は故あってご老人の皆さんを間近で観察する機会が多くなっているのだけれど、総体的において、好奇心を失っていない方というのは老け込まないものだなあ、という印象を得ております。
 世間で話題になっていること、またはなっていないこと、とにかく自分のアンテナを大いに広げ、そこに引っかかった話題・事象についてフラットな心で目を向け足を運ぶ、みたいなことをしている人は、やはり老け込まず、孫世代のような若者とも、媚びることも高圧的になることもなくフラットに話をしているように見受けられます。
 然し乍ら、それが出来るご老人はやはりほんの一握りで、多くの方々は世間に興味を失い目の前の些事に拘泥し、テレビのワイドショウで見聞きしたことをそのまま話して今の世の中は……と嘆くばかり。若者と話をする様子もやはりどこか高圧的に接しているように見受けられます。
 いいご老人を見ては、持って他山の石、とせんければならんと思い、そうでないご老人を見ては、人の振り見て我が振り直せ、とせんければならんと思いますな。

 閑話休題

 そうして中野ブロードウェイに向かう道すがら、乗車した電車の中、どうした按配か、心中でずっと、伊東四朗師と小松政夫師がさんざ流行らせたフレーズが繰り返し再生されて、いわゆるところの思い出し笑いをしそうになって大いに困った。ニン。どーかひとつ。ながーい目で。ダメなのねー ダメなのよー ニンドスハッカッカー マァ ヒヂリギホッキョッキョー。もーいや、もーいやこんな生活、お金返すからお家帰して。なんてな感じでずっとこんなフレーズの数々が心の中で渦を巻いていて、あー、つまりはそういうことだ、『マカロニほうれん荘』と同じく、僕を構成する要素のひとつだ、ということなんだろうと思った。ツン、ツクツクツクツン。わりーねわりーねわりーね・でーとりっひ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。いまの子供たちも、終生捨てることがないものと出会えるといいね。

2018年6月1日金曜日

噺家は世情のアラで飯を食い

 人生いろいろ。といえば稀代の名歌手島倉千代子嬢のヒット曲であるけれども、いやあしかし、ほんと人生いろいろだなあと思わされるのは、剛力彩芽や石原さとみと交際をするIT社長がいれば、自らプロデュースしたアイドルちゃんに対して同じ旅館の同じ部屋で隣に寝ることを強要したり、更には盗撮したりしてそのアイドルちゃんから訴えられているIT社長もいるということで、ほんと、人生いろいろ。男もいろいろ、てなことを思って僕だっていーろいろ咲きみーだーれーるわー、てな楽しい気分になります。

 閑話休題

 本日六月いっぴから我が国でも司法取引がスタートするという。司法取引のことを知れば知るほど「〇〇だって漫画持ってきてるのに」と、抜き打ちの持ち物検査の際、生活指導の教師から、学校に持ってきてはいけない漫画本を見つかり激しく叱責された際に平気で友達を売った、高校の同級生だったSくんのことが思い出されてならん。
 けれどもSくんはそうして友達を売ったにも関わらず特に量刑が減ぜられることはなく、〇〇共々、乱暴な生活指導の教師にぶん殴られておった。どっとはらい。

 閑話休題

 そうしてその陰で、タバコや酒を持ち込んでいる本当に悪い生徒は準備万端、けして見つからぬように態勢を整え抜き打ち検査をやり過ごしていたっけ。巨悪はいつだって目に付きやすい小悪の陰に隠れのうのうと存在し続ける。

 閑話休題

 近頃、脳科学などの観点から、老人にとってコンピュータ・ゲームをあすぶことはとても良いことだとわかった。みたいなことが云われるようになったが、少し待て。その老人たちというのは我々中年の親世代、ということは最初のファミリー・コンピュータが世の中を席巻した頃、コンピュータ・ゲームを目の敵にして悪者扱いしていた連中ではないのか。ゲーム脳、なんて言葉に諸手を挙げて賛同していた連中ではないのか。まさか現在の風潮に平気で乗って、嬉々としてコンピュータ・ゲームをやり始めたりするのじゃないだろうな。だとしたらいい加減にしろよまじで。

 閑話休題

 しかしあれですよ。老人たちに自動車の運転免許を返納させたいのだとしたら、その対価として公共交通機関の割引を適用するなどの措置が必要なのではなかろうかね。人里離れた地域にお住いの方にはなかなか難しいことだろうが、少なくとも都市部においてはそのくらいの優遇をしなければならんのではないかしらん。
 ただでさえ年寄り扱いされるだけで腹がたつところに、長年持ち続けていたもの(それも生活の便利に直結するものだ)を、周りに迷惑をかけるかもしれないから捨てろ、と要求されて、はいそうですね、と従えるのは、メタ認知にすぐれた相当に理知的な人でないと難しいのではないかしらん。

 閑話休題

 斯く云う私とて、時代がここまで変わったのにいまだに自分のホームページを持つことをやめることができずにいるン。それが無くなったら自分が自分で無くなるような不安があるン。いま、何かを表現するならばYouTubeやSNSの場でやるのが常道になっているのにそれができずにいるン。年寄りを嘲笑していられない。自分が獲得したものからはなかなか離れられるものじゃあないン。

 閑話休題

 因みに語尾に”ン”てつけるのは、ちくま文庫の『志ん生の噺』っていう落語の速記本シリーズの真似をしてるン。なので小池一夫氏のン、とは用法が違うン。

 閑話休題

 しかしなんていうかあれだね、これをこうやって面白おかしくしておけば誰かがSNSに上げてウケるだろう。みたいな計算で何かをし始めるともう面白く無くなるね。キャラ弁だとかお店の臨時休業の理由(”逃げた妻を探しにゆくため明後日まで臨時休業します”)とかそういう類のものってあるでしょう。
 なんてのかな、『プレスリーは生きていた』みたいな妙ちきりんな一面の見出しがウケていると気づいてしまい、狙って見出しを作り始めてからの東スポが急速につまらなくなったのと同じ効果、って例えが古いよ三十年も前の話じゃねぇかそんなもの伝わらねぇよばあか(自己批判)。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。うーん、大和が入ってきたことで倉本の特徴の無さが目立ってしまったようだなあ。守備なら柴田の方が上だし打撃なら山下光輝の方がセンスがあるし足は宮本の方が比べ物にならないほど上だしなあ。ただ存在感は倉本の方が断然あるんだよ、チームリーダーになれそうな雰囲気というのか。チームスポーツって難しいねぇ。



ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...