2019年4月30日火曜日

ドント・ストップ・ミー・ナウ

 そういうわけで平成最後の日だから世の中の耳目がみんなそっちへ向いているというのに僕はときたら新作を更新しました! なんて喜んでいるのだから、僕の感性がいかに時代と乖離してしまっているかというのがわかろうというものです。とはいえ、僕だって足らない頭脳とセンスと技術をフル回転させて新作を拵えたのだからどうか観ていただきたい。どうぞよろしくお願いします。そうして願わくば、サイトの其処彼処に設置されているグーグルアドセンスのCMをクリックしていただきたい。すると私の手元にチャリンと一円にも満たぬような小銭が加算されるのであり、その辺りをどうかお願いをしたい。あるいはもっと直接的にお金をくれたらいいと思う。右や左の旦那様、哀れなホームページ乞食にお恵みを。

 閑話休題

 そういうわけで当方のツイッターアカウントでうるさいくらいに告知を繰り返しておりますが新作を更新いたしました。
 昨年暮れに公開しました『グランドール城にて』第一話の後編でございます。
 前編の公開から早くも四ヶ月が経ってしまい、前編の内容など覚えておりませんでしょうが、すごく計算された緻密なシチュエーションコメディ(当社比)ですので、お手数ですが前編からご覧いただきますれば、きっと面白いものを観たという感想を抱いていただけるものと確信しております。面倒くさいの嫌! という方には前編のあらすじもご用意しておりますのでご覧いただければ幸いです。
 前編で王様がついたとんでもない嘘を、王家の人々とその周辺の人々が尻拭いをするために奔走するというドタバタぶりをお楽しみいただければ幸いです。
 自分で云うのもなんだけど、割と得意なタイプのお話なので作ってて楽しかったですよ。古い話で恐縮ですが、十年以上前に僕が作った『マジデカ』とか憶えている方がいらしたら、あんな感じのテイストです。あの要素をもっと膨らませてあるので、相当に面白いと思いますですよ。
 『フォルティ・タワーズ』とかレイ・クーニーの戯曲が好きなので、積み上げた伏線があとでギャグとして破裂するようなものを志向して作っています。
 まあ、騙されたと思って一度ご覧になってくださいな。まじ面白いから。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。自分は断然平成に生きた時間の方が長いのだけれど、どうにも昭和の方が印象に深いのはやっぱり子供時代が丸々昭和だったからなのかなあ。きっとそうなんだろうなあ。してみると、今の高校生なんかも、令和三十年くらいになる頃には、令和の方が長い時間を生きたとしても、平成の方に思い入れができるのかもしれませんや。時間の感覚って本当に不思議ですなあ。







2019年4月28日日曜日

人間はカンガルーの足である

 平成が令和に変わるからといって別段自分の生活には変わるところはないよねー。なんて恬然と構えていたのだが、やはり元号が変わるというのはどこか、無意識のレヴェルで人々の生活に影響を及ぼすようで、自分の身の回りにおいても、これはもうずっと変わらぬのだろうなあと諦めていたことに変化の兆しが現れてきたり、将又、これは変わって欲しくないなあと思っていたことがパッと変わってしまって大いに狼狽する、なんてことが其処彼処で起こっていて、本当に不思議な気分になります。
 そこまで考えて、はて、昭和が平成になった時には身の回りにどんな変化があったかしらん。と、思い出そうとしたのですが如何せんもう三十年も昔の話ですからとんと思い出せません。あれは平成初期の話と思っていたことが、よくよく調べてみたら昭和五十四年くらいのことだったりして、もうめちゃくちゃです。
 ならば、ミレニアムと騒いだ、世紀が一つ繰り上がる時にはどうだったかと思い出してみますが、やはりこれももう十九年も前の話なのでとんと思い出せません。うんうん記憶を振り絞っても、当時加入していた小田急ケーブルテレビがいわゆるY2K問題に引っかかって元日早々映らなくなったことぐらいしか記憶にありません。今はシネスイッチ銀座の1だか2だかになってる銀座文化劇場で『2001年宇宙の旅』を観たのは九〇年代の後半だったはずでミレニアムと関係なかったしなあ。

 閑話休題

 と、そんな塩梅で、あと五年もしたらいま感じている、元号が変わるのに合わせていろんな身の回りの状況が動いている気がするなんてことも、すっかり忘れてしまうのだろうなあ。もちろん、個々の出来事は忘れないんだろうけど、それが改元とセットで記憶されることはないんだろうなあ。人間は忘れてしまう生き物なのですなあ。

 閑話休題

 そういえば井上ひさし氏の長編小説『吉里吉里人』の中に、見たもの聞いたものを全て忘れることができない人が出てきて、面白かったなああれ。忘れられないってのも辛いもんだと読んでて思ったっけ。あれ、あの人が出てきたのは『吉里吉里人』じゃなかったっけ。って、もう忘れちゃったよ。人間は忘れしまう生き物なのですなあ。

 閑話休題

 自分にとっての平成は、その始まりがちょうど社会に出る年齢とほぼ合致しているからまあいろんなことがあった。右も左もわからぬままに右往左往していた時期があり、なんだか全てが嫌になって社会的には引きこもりみたいなことになってみたり、そうかと思ったらあれ俺もしかして行けんじゃね? みたいな、浮かれた時期があり、そうして浮かれていたらどすんと落とされるようなこともあり、そうかと思えばもう俺の人生はほとんど終わったようなもんだなあと思うようなこともあって。それでもまだ結構楽しく生きてるんだから大したもの……って、まあこんなことは平成と区切らなくっても、人間の一生の中で普通に起こることで(なにしろ十七歳から四十八歳までの期間のことなのだから!)、それをば、改元されるという世の中のムード、空気に飲み込まれるようにして、恰も、自らの人生を平成という時代に投影しようとついしてしまうものだが、人生と元号なんて基本的には関係ないのであって、ならば何故、人はそんなことをしてしまうのかというと、やはり自分の人生を少しでもドラマチックに思いたいがためなんだろうなあと思った。

 閑話休題

 平成生まれの人には多分、元号と自分の人生を重ね合わせて考えるような感慨は今の所はないんだろうと思う。平成生まれの皆さんの人生はまだまだ午前中だものね。けれども、そんな平成生まれの皆さんとて、令和が終わる頃にはそんな気分になってると思うよきっと。

 閑話休題

 まあ人生の収支決算をすれば、やっぱりマイナスになるんだろうなあ僕の平成は。

 閑話休題

 でもほんと、なんで改元をゴールデンウィークに合わせたんでしょうね。発表を正月にして新年度から令和にすればうんとわかりやすかったのにねぇ。三ヶ月あれば随分準備にも余裕ができただろうにねぇ。10連休に対して諸手を挙げて賛同している大人を政治家以外に見た試しがないよ。

 閑話休題

 ああそうそう。近頃はとんと映画館に足を運ばなくなっているから今頃になって『ボヘミアン・ラプソディ』を観たのだけれど、いやあ、面白かったなあ。クイーンについては直撃世代じゃないし、個人的にも洋楽にほとんど興味がなかったから詳しくは知らなかったんだけど、そんな私みたいなライト層が観るのに最適な、オーソドックスな伝記映画の作りになっていて、ラストのライブエイドの場面など、もう、うわあ! と、言葉にならない感激に襲われるように、全く見事に作ってあって大に感心した。爾来、クイーンの曲ばかり聴いているという全くもってミーちゃんハーちゃんな感じで日々を過ごしております。加えて、クイーン直撃世代ではなくとも、フレディ・マーキュリーが死んだ後、日本のテレビコマーシャルその他で盛んにクイーンの曲が使われたのを体験した世代ではあるから、クイーンの曲そのものには耳馴染みがあったし。

 閑話休題

 しかしあれだなあ、たとい洋楽に疎かった私でも、ライブエイドのことはよーく記憶しているから、どこか、あの頃の時代を追体験するような気持ちで画面を観ていたのだけれど、考えてみたらライブエイドが開催されたのは今から三十四年も前の話で、してみると、いまの三十代の皆さんの目には、歴史上の出来事として映っているんだろうなあと思ったりなんかした。

 閑話休題

 平成が終わるいま観る『おしん』の物凄さ。でも今の時代にあのテイストを取り入れた新作を作ったらすごい駄作になるんだろうな。

 閑話休題

 『なつぞら』の方が『いだてん』より視聴率がいいという時点で視聴率なんて信用しちゃダメだってわかりそうなもんだろうに。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。相変わらず我がベイスターズは負け続けているわけですが、いやそれにしてもすごいなあ、ここまでホームランでしか点を取れないチームというのはかつて見たことがないよ。それでも今日も明日もホームランを期待する野球を目指すんだろうなあ。そら宮崎が額面通りに打ってればまた違ったんだろうけど、とはいえ、幾ら何でもなあ。ラミレス意固地になるからなあ。あれだけやりたがってた守備の大胆なシフトもやらなくなっちゃったし。ラミちゃんもう気持ち切れちゃったかなあ。でもここから優勝したらすごいけど、まあ無理だろうなあ。今年は今永が球界を代表する投手になることと、神里が一番打者に定着するのを楽しみにしてるけどね。この二つが真に達成されたらチームの形がはっきりしてくるよきっと。あと、大和と柴田で二遊間を固定すると野球がすごく落ち着いてくると思うけどね。セカンドが下手だとショートも割りを食うよ。二遊間が低レベルだと守備全体が割りを食うよ。





2019年4月19日金曜日

秘せずは花なるべからず

 あれ。また『十億アクセスの彼方に』がまとめサイトやツイッターでちょっと触れられてるや。もう終わった作品だと思ってたらそうでもなかったのかな。まあなんにせよありがたいありがたい。あれ作ったの2004年の秋だもんなあ。まだインターネットの情報誌が本屋で売ってた頃だよ。ヤフーBBマガジンとか。まだ街中でADSLのモデム配ってた頃かなあ。2004年だともう配ってなかったかな。いずれにせよ、いまのネットを近世としたら当時のネットは中世の時代というくらいに違っちゃってるね。

 閑話休題

 たといば僕は、朝はんや小腹が空いた時などにフジパンのスナックサンドを購入し、うまうまと食することがある。その度に、僕は、ここに、世の中に対する密やかな怒りが込められていると感じる。
 フジパンのスナックサンドの封入袋、そのおもて面には『元祖 Since1975』とロゴがあしらわれ、その裏面には、このタイプの惣菜パンはスナックサンドが元祖である、といった文言が記載されている。これはやはり世の中に対する密やかな怒りの表明なのだと僕は思う。
 当節、ああした、おにぎり的なサンドウィッチといえば? と問われたときに、世の中の大半の人々は「そりゃあんた山崎のランチパックに決まってるでしょうが」と云うだろう。
 フジパンの立場に立ってみればこれは悔しかろう思う。まじむかつくと思う。超MMと思う。そもそもランチパックなんか自分らのをパクっただけじゃないか。それをなんだ世の中の連中ときたら。大量のテレビCMに簡単に扇動されて、ランチパックの方が本物でスナックサンドの方をパチモンみたいに云いやがって。元祖はこっちだぞ。ざけんな。といった世の中に対する怒りわーと叫んでアピールしたいだろうと思う。
 しかしフジパンはそれをしない。外袋に、わかる人だけがわかればいいみたいな感じで密やかに、品良く、自分の主張を表明するのみで済ませる。そんなフジパンの行動とその奥にある心根の程を思うたびに僕は覚えず涙を落とす。
 もちろん涙を落とすと云うのは全くの嘘なのだが、それでも僕は、スーパーやコンビニでスナックサンドとランチパックが併売されていたら迷わずスナックサンドを手に取り、元祖であることを表明している外袋のロゴと文言に目を通し、わかるわかるわかるよ。フジパン君の気持ち、よぉくわかっとる。わかっとるよぉ、と植木等の声音で思ってからレジに持って行き購入する。そうしてフジパンに共感・共鳴しつつ、うまうまとスナックサンドを食する。これこそが元祖なのだというフジパンの思いを胸に抱いて。

 閑話休題

 ただ、ランチパックの方がいろんなコラボとかしてて展開が派手だからつい買っちゃう時があってその時はごめんフジパン、と心の中な謝りながらランチバックを買って食べる。あとデイリーヤマザキが割りと好きなのでそこに行った時とか。

 閑話休題

 うわなんだよ、ダ・ゾーンはカープの主催ゲームも配信しないんだ。スワローズといい、ほんとセリーグってダメだよなあ。セリーグがダメなのか、それともフジテレビや広島のテレビ局がダメなのか知らないけど、なにやってんだかなあ。二十一世紀が始まってからもうじき二十年になるし、平成だってもう終わっちゃうのになあ。

 閑話休題

 四月というのはその時期にしか見られない風景が見られるから面白い。
 たといばこの時期、規模が大きめの郵便局に行くと、窓口カウンターの奥に「研修中」と書かれた名札を胸に下げた新人ちゃんが真剣な表情で先輩局員の仕事ぶりを、メモを取りつつ観察していたりして、見ていてなんとも微笑ましいような気持ちになる。
 この時期にしか見られない風物詩として僕はこれを桜の花と同じように捉えていて、だからできたら花見ならぬ新人局員見を開催、郵便局の待合に毛氈という名の茣蓙を敷いてそこに車座になって座り、新人局員が明らかに場慣れしていないとわかるウブな行動をするたびに春ですなあ、なんて楽しげに喜び、お茶けを飲んでお茶か盛り、卵焼きの尻尾ンところをポリポリかじったりとかしたいと痛切に思っている。
 なんて人に話したりしたら基地外と思われるのが関の山なのでなるべく人に話したりしないようにして、通常の人みたくして郵便局の待合で順番を待っている。

 閑話休題

 もちろんそうして大人しく待合にいても頭ン中では新人局員見をやってるわけだけれど、そんなもん頭ン中でやるだけなら誰にも怒られないし警察にも逮捕されないしネ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ああそういえば談志家元の最後の高座、新百合ヶ丘での落語会、トリで『長屋の花見』をやったんだよなあ。一席演ってこれで今日は終わり……と思ったらそのまま『蜘蛛駕籠』を続けて演ったんだ。胸にピンマイクがついた状態で咳き込みながら、云えば息も絶え絶えの高座だったけど、やっぱり面白くって、こうして続けて二席も演るんだからまだまだ家元の落語を聴く機会はあるはずだよなあ、と思いながら帰ったのを憶えてる。あれが最後になるとは夢にも思わなかった。あれからもう八年が経っちゃったよ。


2019年4月7日日曜日

老兵は死なず、ただ消え去るのみだよねー。

 うららかな春の日曜日だがそんなことは知ったことか。私はプロ野球を観なければならない。野球場に行けないのであれば配信や放送で観なければならない。観ないと死ぬ。そういう呪いにかかっているから今日も今日とて私は日本プロ野球を、今日は珍しく地上波民放で放送していたからそのチャンネルで視聴したのであった。
 そうしていま、ファンを自認してから三十七年目となった我がベイスターズの完璧なゲーム運びによる勝利、その余韻に浸っているのだが、いやー、しかし、これまでに幾度も思っていることだけども、改めて、地上波民放でのプロ野球中継はもう完全に無理だと思った。
 とにかくコマーシャルがウザいことこの上ない。昔とはその分量自体は変わらないのかもしれないが、有料放送CSでの完全中継が始まってからおよそ二十年、インターネット配信による完全中継が始まって三、四年、コマーシャルが全く入らない又は極めて少ない分量のコマーシャルしか入らないスタイルでの観戦視聴が身についてしまった為に、隙あらばコマーシャルを入れようとする地上波民放での放送を観ていると腹立たしいことこの上ない。
 かてて加えて、ここ十年ほどのプロ野球は全体的なスピードアップが図られ、球場内での音楽やチアダンスなどの演出がふんだんに取り入れられるようになったから、嘗ては球場の空気が止まり途切れていた、イニングチェンジや選手交代の場面でも空気が途切れることがなくなっている。だのに地上波民放の放送ではその途切れない空気をぶった切るようにして大量のコマーシャルが挿入される(しかも次のイニングの一球目が投じられる直前まで挿入されるのだから!)。しかもそれはYouTubeのようにスキップすることができない。とにかくテレビの前で不必要に待たされてイライラが募るだけの時間になっている。
 ほんとうに、いま、テレビを一所懸命に観ている人って、どういう人たちなんだろうなあ。インターネットが当たり前の時代に育った若者ならば、もうテレビをまともに観ることはないんじゃないかなあ。テレビっ子の最後の世代としてテレビばかり観て育った私ですら、いま、テレビを観る必要をほとんど感じてないんだから。

 閑話休題

 正確を記すれば地上波民放のキーステーションでの放送がもう無理ってことになるのかな。ローカルのtvkはコマーシャルが入っても全然ひどく感じないものね。

 閑話休題

 石野卓球氏のツイートを取り上げた『バイキング』なんてもう完全にダメだったものね。すっかり時代に遅れてしまったテレビの論理で事態を伝えようとするから、なんともトン吉チン平カン太な空間になってたものね。

 閑話休題

 まあ、SNS時代を生きるあなた方がそこへ繋がらずには居られないのと同じように、テレビを見ずには居られない時代があったということですな。そうしてその時代は疾うに終わってしまっているということですな。

 閑話休題

 話は変わるけど、でも、そんなに世の中の人ってピエール瀧氏がコカインを常用していたことに憤っているのかしらん。法を犯したことについては裁きを受けて刑に服するべきとは思うけど、そこさえクリアすれば別になんの問題もないことだと思うんだけど違うのかなあ。

 閑話休題

 そういえばビートたけし師が講談社に殴り込んだ事件、その直後の会見で「子供達への影響についてはどう考えるか」みたいな質問を記者から受けた時に「それは親が”あれは悪いことだ”と説明すればいい。それでわかんないようなガキはバカだからしょうがない」みたいな答えをしていたと記憶するけれども、要はそういうことだよなあ。

 閑話休題

 ほんとにもう、うるさかったですね、選挙カー。地方選挙だからなんかもう、とんでもない細い道まで這入り込んできてわあわあがなり立てていて。静かにしてたら票を入れてやるから黙れ、と怒鳴りたくなったよまじで。そうかといって、選挙カーを使わず自転車に幟を立てて選挙運動をしているのも、これも見ていて、選挙カーが煩瑣いという市民の気持ちを見透かしてやってます感が強く横溢していて腹が立つ。どいつもこいつも耳障りのいいことばっかり云ってやがって。せっかく無闇にでかい音を出して怒られない二週間なんだからなんか面白いこと云えっつーんだよ。永六輔のラジオみたいなこと云えっつーの。

 閑話休題

 こういう選挙の日に『いだてん』を放送したら逆に視聴率上がるんじゃないのかしらん。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。どなたかのツイートで気づいたのだけれど今年の四月五日って拙作『十億アクセスの彼方に』のラストシーンの日付だったんだね。あの作品の主人公は「みずき」というのだけれど、公開直前までは「かえで」にしてたんだよね。ところが公開直前になって、そのお名前の女児が被害者になったひどい事件が起こって慌てて変えたんだ。それと作中に出てくる父親の友達の「TOMOYO」さんが最後に死んじゃうのは、あの頃、ネットユーザーの中心層って大学生をはじめとする二十歳そこそこの人たちだったから、あの頃のネットからは死や病の存在がほとんど感じられなかったんだよね。でもあと十五年もしたらこいつらだってそういう話題を取り上げるようになるんだろうと思って入れたんだった。あと、本当は最後にドーンと笑えるような落ちをつけようと思って、あそこまで笑いと逆方向に引っ張ったんだけど、引っ張りすぎて何にも思いつかなくて、もう面倒臭くなっていいやっ、と思ってアップしちゃったんだ。やっぱり笑いの方が作るの難しいよ。いずれにせよもうあの作品は名実ともに現役ではなくなったんだろうね。まあ、あれが望外にウケたことで、まあ少しは胸を張ってもいいのかな、という気持ちになれたから有り難いっちゃあ有り難い。しかし、みずき、今頃どうしてんのかね。あのまま相当痛いアラサーになってるかな。それともささやかなりとも幸せを掴んでるかな。
 (追記)ああ間違えた。作品が終わる時点で中学生なんだった。さて彼女はこれからどんな人生を歩むのかねぇ。


2019年4月5日金曜日

グローイング・ダウン

 荒んだ心を抱えたまま生きていくのがやはり大人なのだと僕は思う。それでも人の前ではにっこり笑って機嫌よく過ごすのが大人なのだと僕は思う。だから僕は今日も人の前ではにっこり笑ってジョークの一つも云い、荒んだ心をひた隠しにして暮らす。
 だから、たといグーグルから「貴様のブログの、ようなもの、など数多のユーザーにとってなんらの利益ももたらすものではないから、我らがグーグルアドセンスの広告を表示すること、罷りならん」と一刀両断にされたとて、あるいは、プロ野球をぐんぐんに観るために契約しているダ・ゾーンの挙動が、この四月に入った途端におかしくなり、登録したメールアドレスが「そんなメールアドレス知らんもんねー」と撥ねられ、だからマイアカウントの確認ができず、さらには勝手にログアウトしてしまったFireTVのダ・ゾーンアプリにログインすることもできずテレビ画面でプロ野球をぐんぐんに観ることが叶わなくなり、その旨を問い合わせるメールをダ・ゾーンのサイトから送ったところ、もう四日も音沙汰がなくて困り果てていたとしても、僕は、僕は僕は僕は大人だから、怒りに荒んだ心をひた隠しにして、人前ではにっこり笑って機嫌よく過ごしている。だって僕は大人だから。そうするのが大人だから。
 だから、今月に入ってから僕は、憂歌団が歌唱するところの名曲『嫌んなった』を繰り返し聴きながら、その歌詞が語るように腐るのはやめて、いつか陽の目を見るはずだこの俺だって、と思いながら日を暮らしているが本当は暴れ出したいほどマジ頭にきている。心がマジで荒んでいる。
 どいつもこいつも馬鹿にしやがって。俺をかろく取り扱いやがって。俺が大人だと思ったら大間違いだぞこの馬鹿野郎どもが。いまに目に物見せてやる。俺は小供だぞ。未だにお子様ランチ食って旗集めてンだぞ。覚えてやがれこんちくしょう。

 閑話休題

 さっきラジオを聴いていたら高田文夫先生が「ゴーンが入るとピエールが出てくるんだろ」と云っているのを聴いて大笑いした。こういういい加減なことを云って大いに人を楽しませるそんな人になりたいと小学生の時分からずっと念願しているがまだ果たせない。

 閑話休題

 3.11の直後も、永六輔大人と高田文夫先生が一番初めに「笑っていいんだよ」って放送で示してくれたんだよな。高田文夫先生など自分の番組に出てきたサンドウィッチマンをさんざ笑わせて、伊達みきお師をして「この一週間で一番笑った」と云わせたものね。あれは聴いていて笑いながらジーンと来た。

 閑話休題

 筒香嘉智選手が高校野球をはじめとするアマチュア野球の問題点を指摘する会見をしてから随分な時間が経つけれども、今のところなにひとつ変わることなくアマチュア野球界は動いていき、春のセンバツも終わってしまった。ほんと、既得権益ってすごいですね。そら、活躍する選手たちに一切の賃金・ギャランティを支払うことなくあれだけの視聴率、ニュースバリューを獲得できるのだから、それに関係する人々は誰だって高校野球を改革しようなんて思いませんわね。汗と泥にまみれた高校球児の姿が減ずるようなことを進んでするわけがありませんわね。

 閑話休題

 高校生だから高校野球は純粋、とか云う人が未だにあって頭が痛くなる。プロの方が、それを生業として飯を喰ってるんだからそっちの方が野球に対して純粋に決まってるじゃんか。高校野球なんて所詮やってるの高校生じゃん。あいつら勉強の片手間に野球やってるんだろうよ。というか、高校生の部活動なんだから勉強の片手間でやらなくちゃダメだろう本来は。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。どうすか、ここまで読んでみて、やっぱり多くのユーザーにとって価値のないコンテンツっすかねここは。まあ、強がりでいうのじゃないけれど、多くの人にとって価値なんかない方がうんといいけどね。馬鹿な百万人が集まるより、物が分かる二十人に集まってもらう方がよっぽど嬉しいからね。それではまたよろしくどうぞ。



2019年4月3日水曜日

三十年のご無沙汰でした。



 閑話休題

 思い出してみれば昭和六三年の晩秋から昭和天皇のご容態について、テレビのニュースなどで毎日報道されていたのを見ていた記憶がある。体温が何度で体調はどんな塩梅で、といったことが連日宮内庁から発表され、各メディアがそれを逐一報道していたのを見聞きしていた記憶がある。
 年が明けて昭和六四年が始まり一週間が経った一月七日に昭和天皇は御隠れになった。その日からだったかあくる日からだったか、テレビ放送は通常の放送を取りやめ、各局横並びで昭和と昭和天皇の歴史みたいな映像を四十八時間くらいぶっ通しで放送していた。その特別編成が終わるとき、フジテレビを見ていたら露木茂アナウンサーが、昭和天皇の崩御から特別編成の放送をした旨を伝えていたのを憶えている。
 テレビがそんな塩梅だから各地のレンタルビデオショップは大繁盛で、やはりテレビのニュースで、レンタルビデオショップの店長というおっさんが「忙しいのにアルバイトはみんなスキーに行っちゃっていない」と嘆き節を云っていたのを憶えている。あの頃まだ蔦屋はそれほど世の中で伸していなかった。だからレコードを借りるのは断然、友&愛。あゝ懐かしきバブルの風景。
 御隠れになった日から三日間、ほとんどの興行が自粛の意味から中止になり(映画館がどうだったかは憶えていない)、後楽園ホールの入り口で黒のスーツを着たアントニオ猪木が、そうとは知らずに来場したファンに中止を詫びていたのを週刊プロレスで読んだ記憶がある。そういう私は一月十日、日本武道館へやはりプロレスのUWFの試合を観に行ったのだがこの日から興行の中止は解除されたから普通に開催された。前田日明対高田延彦がメイン・イヴェントで、山崎一夫がトレバー・パワー・クラークと異種格闘技戦を闘った。
 当時の小渕官房長官が「新しい元号は、平成、であります」と云って例の額装された書を披露したのを見たときにはなんとも座りの悪い感じを抱いた。いまよりも遙かに元号で年を数える習慣が染み付いていたから尚のこと違和感を覚えた。
 『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴いていたら「ニュース見てたら小学生のガキが、テレビのレポーターに新しい元号を聞かれて”三学期”って答えてやんの。もう飛んでって殴ってやろうかと思った」とたけし師が云っていて夜中に笑った。
 それから大喪の礼だとか色々あったが日常の暮らしは割と平気に進んでいった。すぐに高校二年の三学期も始まってしまったし。高校三年生に進級する頃には「平成」に一切の違和感を抱かなくなっていた。その頃から元号よりも西暦で年を表す人がぐんと増えた。
 当時から、新しい天皇陛下はそんなに若くないから平成は昭和ほど長く続かないだろうね、なんてなことを皆よく云っていた。実際、昭和の半分以下の期間で終わることになった。それでも当時を思えば平成が三十年も続くとは微塵も想像していなかった。
 ついこの間のことだと思っていた昭和の終わり・平成の始まりから三十年も経ってしまっていたことに結構愕然としている。変わったこともあれば変わらないこともある。

 閑話休題

 昭和が平成になったときよりも平成が令和になった今回の方が万事明るい調子でことが運んでいるように思う。平成に元号が変わるときには昭和天皇の崩御により出来した負の事態の締め括りという印象があったからね。あんまり明るい感じはしなかったし、今回のようなイヴェント感覚はほとんどなかったと思う。どっちがいいかといったら断然今回の方がいいよね。

 閑話休題

 発表の瞬間を報じるNHKの放送を見ていたのだけれど、発表を待ちわびて街に集まる人々の様子が、あれはワイプというのか、画面の隅の小さい枠内に表示されていたのだけれど、そこに、ずーっと、群衆の中にいた、中学生くらいのショートカットの可愛らしいひとりの女の子が、明らかに他とバランスを失した分量で映され続けていたんだが、なんであんなおかしなことをやったんだろうかNHKは。カメラマン変態なんじゃないかと思ったよ。あれ、どう見てもただの一般人の女の子で仕込みじゃなかったよなあ。NHKはこの十年ほど、ニュース報道でも取材現場にいる一番綺麗と思われる女性に必ずインタビューをしているけれども、でもいくらなんでも今回のは変だったよなあ。

 閑話休題

 NHKといえばこの年度替わりのタイミングでアナウンサーの担当番組が適当に入れ替わるのが常だけれど、あれ、如何にも「人事異動」の感じがしてなんかいいよね。上の人の意向が反映されている感じが強くしてていいよね。民放だとそういう感じがないんだよな。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ダ・ゾーンの問い合わせ窓口は問い合わせの送信から丸二日が経ってもなんらの返事も寄越さない為体。しかし視聴するにあたりこの為体に頼らなくちゃいけない令和を生きるプロ野球ファンの辛きこと。平成が始まった頃と比べるとプロ野球が世の中に占める割合は掛け値無しに十分の一に減じたね。まあそのぶん、本当に好きな人だけが集まる空間にはなったけど。牧野真莉愛ちゃんみたいなマニアックな野球ファンのアイドルなんていなかったもんねぇ。

ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...