2019年4月7日日曜日

老兵は死なず、ただ消え去るのみだよねー。

 うららかな春の日曜日だがそんなことは知ったことか。私はプロ野球を観なければならない。野球場に行けないのであれば配信や放送で観なければならない。観ないと死ぬ。そういう呪いにかかっているから今日も今日とて私は日本プロ野球を、今日は珍しく地上波民放で放送していたからそのチャンネルで視聴したのであった。
 そうしていま、ファンを自認してから三十七年目となった我がベイスターズの完璧なゲーム運びによる勝利、その余韻に浸っているのだが、いやー、しかし、これまでに幾度も思っていることだけども、改めて、地上波民放でのプロ野球中継はもう完全に無理だと思った。
 とにかくコマーシャルがウザいことこの上ない。昔とはその分量自体は変わらないのかもしれないが、有料放送CSでの完全中継が始まってからおよそ二十年、インターネット配信による完全中継が始まって三、四年、コマーシャルが全く入らない又は極めて少ない分量のコマーシャルしか入らないスタイルでの観戦視聴が身についてしまった為に、隙あらばコマーシャルを入れようとする地上波民放での放送を観ていると腹立たしいことこの上ない。
 かてて加えて、ここ十年ほどのプロ野球は全体的なスピードアップが図られ、球場内での音楽やチアダンスなどの演出がふんだんに取り入れられるようになったから、嘗ては球場の空気が止まり途切れていた、イニングチェンジや選手交代の場面でも空気が途切れることがなくなっている。だのに地上波民放の放送ではその途切れない空気をぶった切るようにして大量のコマーシャルが挿入される(しかも次のイニングの一球目が投じられる直前まで挿入されるのだから!)。しかもそれはYouTubeのようにスキップすることができない。とにかくテレビの前で不必要に待たされてイライラが募るだけの時間になっている。
 ほんとうに、いま、テレビを一所懸命に観ている人って、どういう人たちなんだろうなあ。インターネットが当たり前の時代に育った若者ならば、もうテレビをまともに観ることはないんじゃないかなあ。テレビっ子の最後の世代としてテレビばかり観て育った私ですら、いま、テレビを観る必要をほとんど感じてないんだから。

 閑話休題

 正確を記すれば地上波民放のキーステーションでの放送がもう無理ってことになるのかな。ローカルのtvkはコマーシャルが入っても全然ひどく感じないものね。

 閑話休題

 石野卓球氏のツイートを取り上げた『バイキング』なんてもう完全にダメだったものね。すっかり時代に遅れてしまったテレビの論理で事態を伝えようとするから、なんともトン吉チン平カン太な空間になってたものね。

 閑話休題

 まあ、SNS時代を生きるあなた方がそこへ繋がらずには居られないのと同じように、テレビを見ずには居られない時代があったということですな。そうしてその時代は疾うに終わってしまっているということですな。

 閑話休題

 話は変わるけど、でも、そんなに世の中の人ってピエール瀧氏がコカインを常用していたことに憤っているのかしらん。法を犯したことについては裁きを受けて刑に服するべきとは思うけど、そこさえクリアすれば別になんの問題もないことだと思うんだけど違うのかなあ。

 閑話休題

 そういえばビートたけし師が講談社に殴り込んだ事件、その直後の会見で「子供達への影響についてはどう考えるか」みたいな質問を記者から受けた時に「それは親が”あれは悪いことだ”と説明すればいい。それでわかんないようなガキはバカだからしょうがない」みたいな答えをしていたと記憶するけれども、要はそういうことだよなあ。

 閑話休題

 ほんとにもう、うるさかったですね、選挙カー。地方選挙だからなんかもう、とんでもない細い道まで這入り込んできてわあわあがなり立てていて。静かにしてたら票を入れてやるから黙れ、と怒鳴りたくなったよまじで。そうかといって、選挙カーを使わず自転車に幟を立てて選挙運動をしているのも、これも見ていて、選挙カーが煩瑣いという市民の気持ちを見透かしてやってます感が強く横溢していて腹が立つ。どいつもこいつも耳障りのいいことばっかり云ってやがって。せっかく無闇にでかい音を出して怒られない二週間なんだからなんか面白いこと云えっつーんだよ。永六輔のラジオみたいなこと云えっつーの。

 閑話休題

 こういう選挙の日に『いだてん』を放送したら逆に視聴率上がるんじゃないのかしらん。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。どなたかのツイートで気づいたのだけれど今年の四月五日って拙作『十億アクセスの彼方に』のラストシーンの日付だったんだね。あの作品の主人公は「みずき」というのだけれど、公開直前までは「かえで」にしてたんだよね。ところが公開直前になって、そのお名前の女児が被害者になったひどい事件が起こって慌てて変えたんだ。それと作中に出てくる父親の友達の「TOMOYO」さんが最後に死んじゃうのは、あの頃、ネットユーザーの中心層って大学生をはじめとする二十歳そこそこの人たちだったから、あの頃のネットからは死や病の存在がほとんど感じられなかったんだよね。でもあと十五年もしたらこいつらだってそういう話題を取り上げるようになるんだろうと思って入れたんだった。あと、本当は最後にドーンと笑えるような落ちをつけようと思って、あそこまで笑いと逆方向に引っ張ったんだけど、引っ張りすぎて何にも思いつかなくて、もう面倒臭くなっていいやっ、と思ってアップしちゃったんだ。やっぱり笑いの方が作るの難しいよ。いずれにせよもうあの作品は名実ともに現役ではなくなったんだろうね。まあ、あれが望外にウケたことで、まあ少しは胸を張ってもいいのかな、という気持ちになれたから有り難いっちゃあ有り難い。しかし、みずき、今頃どうしてんのかね。あのまま相当痛いアラサーになってるかな。それともささやかなりとも幸せを掴んでるかな。
 (追記)ああ間違えた。作品が終わる時点で中学生なんだった。さて彼女はこれからどんな人生を歩むのかねぇ。


ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...