2018年12月30日日曜日

我が人生最悪のとき、それはいま。

 お世話になっております。そういうわけで我が新作であるところの『<a href="http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/v2/works.html" target="_blank">グランドール城にて 第一話・前編</a>』を正式に公開いたしました。まだ海のものとも山のものともつかない感じですが、作った当人は非常に楽しんで作りました。独りよがりかどうかはやはり自分ではよくわかりませんので、よろしければご覧いただければと存じます。よろしくお願いいたします。

 閑話休題

 よくわからないままにニコニコ動画のRPGアツマールにも投稿をいたしました。

<iframe src="https://game.nicovideo.jp/atsumaru/externals/thumb/gm9542" scrolling="no" style="border:0;width:312px;height:176px" frameborder="0"><a target="_blank" rel="noopener" href="https://game.nicovideo.jp/atsumaru/games/gm9542">RPG COMEDY SHOW グランドール城にて 第一話・前編</a></iframe>

 こちらでもご覧いただけるのでよろしくお願いいたします。ニコニコ動画の文化がよくわかっていないので、なんか浮いている感じもしますが、まあひとつよろしくお願いします。

 閑話休題

 しかし作品を発表した後というのはまじ心がブルーになります。面白いと思って作り、こんなものが作れる自分は天才なんじゃないかと思って浮かれ気分でアップロード、するけれども気分はそれから一時間も経たぬうちに急降下、いったい自分は何をやっているのか。こんなことをやっていて喜ぶ誰かなんて本当にいるのか。つーかいるわけはない。誰が見るんだこんなもの。という思いがふつふつと胸に沸き起こり、自分は相当なばかものなんだろうと、自分で自分の心を痛めつけてずんと落ち込む塩梅となるのです。
 しかしながらそれも落ち込んでから二日も経てば、まあこんなもんだよな。俺のできることなんてこんなもんだよなあ。と、少し思って、やがてプルーな気分もなんとなく消えていき、そうなると、あ。そうだ。あのアイデアを作品に仕上げたらどうだろう、なんて思っていて、馬鹿は死ななきゃ治らない、という広沢虎造節の正しさを思い知るのであります。

 閑話休題

 明日は大晦日。たぶん明日はブログを書くこともないと思うので、本年の更新はこれで最後となります。すこしでもページを動かそうと思ってこのウェブ日記を始めたわけですが、うーん、まあ、楽しかったからいいや。この数年は色々と低調で作品もあまり作れませんでしたが、今年の後半ぐらいからは、色々なことがちょっとずつ上向いてきたので、来年はもうちょっとたくさんの作品を作れるのではないかと考えております。

 改めて本年はお世話になりました。気にして観てくださる方がいるというのは本当に嬉しいものです。果たしてこれからも皆様に楽しんでいただけるものを作れるかどうか、自信は全くありませんが、一所懸命にここで遊んでいきたいと思っています。よろしければ、時折で結構ですので、また来年も覗いてみてください。退屈しのぎぐらいにはなると思いますので。

 それでは皆様どうぞ良いお年をお迎えください。




2018年12月28日金曜日

これでもくらえ

 お世話様です。年の瀬ですね。しかし旧暦に直すといまはまだ十一月下旬ということです。そう考えますと、いやあ、江戸より以前の師走というのはまじ寒かったんでしょうね。それへさして節季払いの掛取りが来るんですから、そら鎖国していた頃の日本人というのはこの時期、なんとかしてその支払いを誤魔化そうと躍起になっておったのでしょう。だって寒い上に金まで持って行かれた日にゃあ堪りませんものね。しかしこれが日本の師走が本来持っていた風情という気もいたします。クリスマスや紅白歌合戦なんて江戸の頃にはあんまりなかっただろうし。だから僕もこれから物品購入をする際にはVISA/MASTERカードをさっと差し出しレジー担当の人に「節季払いで」とにこやか且つ洒落乙に指定、そうしてその年の師走、大晦日にやって来るVISA/MASTERカードの掛取りから逃げ回る(押入れに隠れて頭から布団を被ったりとかネ)ということをして日本の師走の風情を存分に味わいたいものと思います。ではまた来年の師走にお会いしましょう。

 閑話休題

 普段は占いなどまず気にしないのだが、暮れも押し迫ったこの時期になると面白半分にネットの占いサイトなどを見て、来年はいい年になると書いてあるところだけを幾たびも読み込んでは気分を上げる、なんてことをやっているのだが、そんな中で見つけたカバラ数秘術(誕生日から割り出す僕の運命数は5)によれば来年はサイクル8に当たる年で絶好調なのだそうですよ、僕は!
 仕事運から金運から恋愛運に至るまで全てにおいてチャンスが訪れるのだそうです。これまでのサイクル1から7までの間に蒔いてきた種が見事花開くのだそうですよ。これを知った僕は、いやあよかったよかった来年はいい年になるんだ、と喜びサイトを閉じてから不図気がついた。
 僕はこの七年間、ぜんたいなんの種を蒔いてきたのだ! いや、なんの種も蒔いてこなかった! 人間自然に生きるのが一番さ。などと嘯いては毎日を漫然と過ごしていた! なにも蒔かない畑に果たして作物が出来るだろうか! 出来ようはずがない!
 と、そんなことに気づいてやはり来年もこのまんまなんにも起こらずただただ日々が過ぎてゆくばかりなんだろう。と思って暗澹たる気分になった。撒くべき種すら持ってないしね。まあいいや。来年も成る可く死なずに生きて行こう。生きていれば希望がある、って『まんぷく』で橋爪功氏演ずる三田村会長も云ってたしネ。

 閑話休題

 そうそう。『まんぷく』で何度かみられた橋爪功氏と安藤サクラ氏の二人きりの場面、いずれも世代の違う名優同士のぶつかり合いという感じで見応えがありましたな。しかし『まんぷく』とても面白いんだけど、この面白さは役者さんたちの達者によるところも多いですね。そう考えると、当節の朝ドラにも辛うじて残っていた「新人女優の登竜門」的な機能は早晩完全になくなるんだろう。ましてこれだけ観る側が根掘り葉掘りネットに感想を、それもリアルタイムに近い形で書き散らす時代になると、ヒロインを演ずる新人女優の経験不足を、視聴者の好意的評価によってカバーしてもらおうというある意味、脆弱な作りのテレビドラマは通用しませんわな。

 閑話休題

 あれは前の世紀が終わる頃だっただろうか、当時仲良くしていた沖縄出身の女の子と師走の晴海通りを一緒に歩いていたら彼女、往来を行き交う人々を見て「みんな格好良くて気後れする。自分が浮いてる気がする」みたいなことを盛んに云うから「この連中だって、一皮剥けば盆暮れには帰省する先があるような山出しばかりだから恐れることはない」と答えたことがあった。自分としたら結構面白い、それでいて本質に近いところを云ったという自負もあったのだが彼女からはなんの反応もなかった。

 閑話休題

 そうなんだよなあ、青山ったって、でかい墓地も斎場もあるんだから、児童相談所が出来るくらい、どうってことないよなあ。そういえば今年前期の朝ドラの中でやたらと「港区」に住んでいることを強調するセリフが出てきたけれども、そういうことを鼻にかける下卑た山出しの馬鹿がそれなりにいるってことなんだろう。光あるところに影が出来るってことだ。光あるところに影がある まこと栄光の影に数知れぬ忍者の影があった。なんつってな。

 閑話休題

 つい今し方ですがさんざこちらで予告させていただいていたRPGツクールMVを使って作ったシットコムを我がホームページにアップいたしました。タイトルは『~RPG COMEDY SHOW~グランドール城にて』。ドラゴンクエストを始めとする典型的なJ-RPGの設定を使ったコメディです。ツールの特性上、ゲームの体裁を取ってはいますが、セリフと人の出入りを観るのみの動画に近い作品となっています。だいたい三十分くらいの長さです。ツイッターでの告知は明後日からしますので、今回は一応、プレピュー公開としてご覧いただければと存じております。なお、途中、再生が止まってしまったり、明らかにひどい誤字脱字があったりした場合には、どうぞツイッターの方で教えてくださいませ。
 それではよろしくお願いいたします。僅かなりともお楽しみいただければこれに勝る幸せはございません。

 <a href="http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/" target="_blank">http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/</a>

 ※トップページの「WORKS」から「最新作」でご覧いただけます。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ああ、近江アナウンサーはいつ見ても可愛いねぇ。テレビに出てくる女がみんな騒々しい、出しゃばりみたいなのばっかりになる中であの自然な感じはとてもいいネ。やっぱり”可愛い”っていうのは生まれ持ったアビリティ。

2018年12月26日水曜日

百鬼夜行でゴー

 どうもお疲れ様でございます。おはようございます。お元気ですか。風邪などお召しではありませんでしょうか。僕は平気です。自分で平気という奴ほどよほど駄目というのは世の習いです(狂人は自分はまともだと決まって云いますからね)が、僕の場合はマジ平気です。さて懸案だったRPGツクールMVで作ったシットコムもどうにか大晦日までにはアップが出来そうです。直しては確認、直しては確認、を繰り返していたら面白いんだか面白くないんださっぱりかわかんなくなりました。まあいいや。別にお金もらってやってるわけじゃないし。お金もらってたとしても誰がみても面白いものなんて作れないしね。いまはちまちまと導入のページを作ったりしています。そうして今日のお昼ご飯はスーパーで売っていた五百円のサービス海鮮丼でした。ありがとうございます。ありがとうございます。僕は平気です。

 閑話休題

 来年の話をすると鬼が笑う、というのは巷間よく云われるところですが、この暮れも押し迫った頃合いに来年の話をしても、やはり鬼は笑うんでしょうかね。まあ確かにこの暮れへ来て「来年は今年できなかった○○をがんばろう」なんてな思い決意は大抵、大晦日を過ぎた辺り、お餅旨いなあ、とか思っている辺りで霧消するのであって、そう考えるとやはりこの時期であっても来年の話なんかしないほうが良さそうですね。本当にやりたきゃあ直ぐにやるものね。そういや心理学だか脳科学的にも「決意を新たにする」というのはもっとも効果がないことで、やはり行動を変えることが、目標の実現には一番いいと云いますしね。さすれば鬼にも笑われずに済みますんでしょう。まあ別に鬼に笑われてもいいけどね。むしろ鬼を笑わせてみたい気もするし。

 閑話休題

 そういや最近外国人のスポーツ選手を指して「赤鬼」と呼称することもなくなりましたな。かつては柔道のウィリアム・ルスカやプロ野球のチャーリー・マニエルなど、白人でごつい選手が現れると直ぐに「赤鬼」と呼んで物珍しがったものです。
 思い返すにあれは昭和六十二年だったか、プロ野球のヤクルトスワローズにボブ・ホーナーなる当時現役バリバリのメジャーリーガーが来日した際にそう呼ばれたのが「赤鬼」の最後だったかもしれないなあ。以来「赤鬼」と呼ばれる白人はいなくなったね。それだけ外国人の存在が珍しく、畢竟、我が国の鎖国の程度も高かったんだろう。ごつい白人を指して「赤鬼」と呼ぶのは、ペリーをあんな感じの肖像画に描いた幕末の人らと大して変わらん感覚だものね。

 閑話休題

 私があまり都心へ出ないということ、また齢を重ねたということもあろうけれども、この五、六年で街に漂うクリスマスの空気が随分薄くなったように感ずる。バブルだった頃は云うに及ばず、ミレニアムからしばらくの間も、十二月ともなれば街はクリスマス一色となり、イヴの晩などはスーパーはもちろんコンビニですら店外にクリスマスケーキ売り場を設営、可愛らしいアルバイトの女の子がサンタのコスプレをさせられ寒そうにケーキの売り声を上げていた。しかしこの五、六年、そのような光景を目にすることが随分減った。街を歩くカップルの浮かれ気分も随分落ち着いたもので、とても過ごしやすくなったと個人的には思う。なんだろう、やっぱりそれを楽しみたい人はディズニーランドとかに行くのかな。まあどうでもいいや。

 閑話休題

 なんつーか、そうして街からクリスマスのイヴェント感が薄らいでくるのと軌を一にするように、ハロウィンが伸して来たような気もするなあ。パリピとそうではない人の乖離がどんどん進んでいくような気もするね。こないだも書いたように、街にはお一人様がグングンに増えているし。これも格差社会だ。違うけど。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。『スマブラ』は挑戦者を全員解放しましたよ。初めてシリーズをあすぶ僕でもできたから皆さんにもできるはず。キャラクターはこどもリンクかパックマンをよく使いますよ。しかしフレーム単位でボタンを正確に押さないといけないのが難しいですね。防御なんかまず満足にできません。とはいえ、正確な操作ができない状態で、だいたいでボタンを押してもそれなりに楽しく闘えてしまうのが面白い。この精密性と粗雑性が同居しているために、幅広い層が遊べるゲームに仕上がっているというのは全くもってさすが任天堂と思うばかり。『ストリートファイターII』や『バーチャファイター』『鉄拳』なんかだと、きっちり技が出せないとてんで面白くなかったものね。でもRPG的なパートである『灯火の星』はストーリー性があった方が良かったかな。


2018年12月16日日曜日

今日は明日の神話也

 こちらをご覧の平均十人くらいのみなさまおはようございます。いつもありがとうございます。すっかり季節は冬となり寒い日が続いておりますが体調など崩されてはおりませんでしょうか。私はいつもみなさまのことを気にかけております。本当です。その代わりここをご覧ではないみなさまのことなどいっかな気にかけたこともございません。ここをご覧でないみなさまが人生においてどんな苦境に陥ろうが知ったこっちゃありません。勝手に生きればいいと思っています。そんな連中は週に二回くらいのペースでタンスの角に足の小指をぶつけて悶絶したらいいとすら思っています。どうせ知らない人のことだし。と、こんなことを云うと「あいつは冷たい人間だ」との謗りを受けるかもしれませんが知ったことではございません。私は私を大事にしてくれる人だけを大事にしたい。そう思ってこれからも頑張っていこうと思います。来年は亥年です。牡丹肉は口にすると硬くてどうも好みませんが私は亥年の生まれです。ですから私の肉もきっと硬くて口に合わないのでしょう。ではそんなことでよろしくどうぞ御願上げ奉り候。

 閑話休題

 この十年ほどの間、すっかり病院と縁づいておるのですが、そうして病院にお世話になるたびに感ずるのは「どう見ても女性の方に優れた医師が多い」ということ。当節話題の、医大入試において慣例的に男女差別が行われていたという報道を閲するに、なるほどそうだろうなあ、それだけの狭き門を潜り抜けてきたのだからやはり女性医師の方が優秀な人が多いのも当然だよなあ。なんて思ったりなんかしたりしています。もちろん女性医師でもなんだこいつ。みたいなのは居るし男性医師でも立派な人は居るけれども、総体として女性医師の方が話がすっぱりした人、気の良く回る人、ちゃんと聞いてくれる人、優しい人が多いように感ずる。
 かつて、永六輔氏がパーキンソン病に罹患した際、氏がパーソナリティを務めたラジオ番組『土曜ワイド ラジオTOKYO』で「医者は文学を学ぶべき」と云っておられたが、それに通ずるような感覚を持っているのは明らかに女性医師に多い。

 閑話休題

 RPGツクールMVを使って作っているシットコム、できたと思ってテストプレイすると操作のタイミングで止まっちゃう部分が出てきたりしてなかなか大変です。手慰みみたいな感じで作ったものでもこうも手数がかかるんだから、本当のゲームを作るって大変だろうなと改めて思っているところでありんす。

 閑話休題

 しかしこのところ繁華街に出て驚くのはいわゆる「おひとり様」の増えたことで、特に三十歳前後の妙齢の女性が一人で街を歩いている姿を目撃することが、そうさなあ、二年前と比べても随分と多くなった。当節のおひとり様は、その言葉が生まれた頃の、おやじギャルの進化種としてのそれ(一人で焼肉を食べに行けちゃう自分、みたいな、自分を極度に愛する感覚)ではなく、真に一人で行動することを好む人たちに見える。先日もとある日曜日、不図、新宿に出掛けぶらぶら歩いていたら、やはり妙齢の女性が一人でそぞろ歩いている姿をたくさん見かけ、やっばり時代ってのは知らん顔してどんどん変わって行ってしまうなあ。と思った。

 閑話休題

 そんなことを思いながら新宿西口のヨドバシカメラの前を歩いたら黒山の人だかりで、すわ何事、と思ったらどうやらポケモンGOをプレイする人たちのようであった。
 それに気づいた刹那、うーん、そうかあ。これだけSNSで半ば強制的に人と繋がることを要求される時代になると、むしろリアル世界ではそうした繋がりとは離れ、一人で過ごしたいと思う人が増えているのかも知らんなあ、なんて思った。ネットがリアルを侵食するのが完全に当たり前の時代状況。知らないうちに結構な未来に暮らしていたんだな僕らは。

 閑話休題

 そうして僕も御多分に洩れずスマブラであすんでいるのであった。何しろスマブラシリーズ自体、プレイをするのが初めてだからゲーム開始直後はもう何が何だかわからない。画面の中で何が起こっているのか、自分が操作するキャラクターがどれかもよくわからない。果たして自分はいま攻撃しているのかそれとも打っ叩かれているのかそれが把握できない。そうしてなんだかわからないうちに画面の外に吹っ飛ばされて敗亡している。
 しかしそうして敗亡を繰り返す中でも次第に画面の把握ができるようになり、ボタン操作によって自らの意思を画面内のキャラクターに伝えることができるようになり、どうかすれば相手の攻撃を躱して必殺の一撃を加え勝利することができるようになってきた。とはいえまだ結構負けるけどね。要は面白いんだよすっげー。
 そうしてまた、昨今のスマブラ的な対戦ゲームのすごいところは、一人であすんでも十分に面白いということだ。僕が子供の頃はといえば、コンピュータの性能がまだまだ低かったから、CPUと対戦をすると割と簡単に勝てることが多かった。それはまあ理不尽な強さを誇る対戦型ゲームもあったけれども、それはあくまで強いというだけのことで、当節のゲームのように恰も人間と対戦をしているかのような感覚までCPUが表現をすることはなかった。
 いやほんと、ぼーっとしているうちに時代ってどんどん進んでいってしまうよ。

 閑話休題

 それにしても最近の任天堂のゲーム、スマブラもそうだしゼルダの伝説BoWやマリオカートなんかもそうだけど、エンディングに表示されるスタッフロールの長さがマジ物凄い。あの長大なスタッフロールを目にするたびに、一本のゲームが世の中に出るまでに必要となる人間の数の多さ、掛かっているお金の物凄さを感じ、世の中におけるゲームの立ち位置が如何に高いところにあるのか、を感じる。
 そうしてまた、初代ファミコンの頃と現在を比べてみるに、あの頃はもはや神話の時代、歴史上かつてあった時代、になっているんだろうなあとも思う。

 閑話休題

 そう、神話の時代は確かにあった。だって俺はそれを全部見て、いまここにいるんだもの。ほんと全部見た。マジ全部見てきたよ。『PONG』ですら近所にあったパッティングセンターで友達とあすんでるし。

 閑話休題

 あとあれだよね「高輪ゲートウェイ」なんて何年かしたらしれっと「高輪」に改称されてるよねたぶん。
 しかしああいう名称のような、新しぶりっ子が好きな人っているんだよなあ。じゃあゲートウェイの発想と対極にある感じの「芝浜」が良いかと云われるとまたこれも困るけどね。まあ迷ったらシンプルにするのが一番良いよな何事も。

 閑話休題

 駅といえばほれ、近頃電車に乗ると英語で駅名のアナウンスが入るでしょう。英語訛りっつーか、カタコトみたいな感じで駅名を読むでしょう。あれ、英語圏の方には耳馴染みがいいのかしらん。あのイントネーションの方が記憶に残りやすいのかしらん。英語を介さない私の耳にはふざけているようにしか聞こえないんだよなあ。あのカタコトのイントネーションで「フネノカガクカン」なんて発声されると、名状し難い可笑しみが湧いてくるんだがなあ。

 閑話休題

 あの駅名を読むのって、いまから二十年以上前に、クロード・チアリの娘がアナウンスしてるって本人が云ってるのをラジオで聞いたけど、いまもそうなのかな。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。『JOY』て映画をAmazonビデオで借りて観たけどいやあ、やっぱりデヴィッド・O・ラッセル監督の映画は僕ぁ好きだ。人間ってダメだよね,でもそこがいいんだよね、的な優しさがあってすごく良い。優しくない人はなに作っても駄目。



2018年12月9日日曜日

記憶ばかりが華やいで

 あれは昭和六十年一月二日、後楽園ホールでのこと。当時中学一年生だった私は級友と連れだって全日本プロレスの試合を観戦に行ったのだった。
 現地に到着したのが試合開始の四十分ほど前。じゃあ俺売店でパンフレットと飲み物を買ってくるわ。なんつってホール入場口から少し脇に入ったところにある売店に赴いた。買い求めたパンフレット二冊を小脇に抱え、飲み物軽食の売り場で紙コップに入れられたコーラ二杯を両手に持ったら文字通り手一杯。真冬のことで分厚い上着を着ているから脇に挟んだパンフレットが滑り落ちそうになるのを堪え、しかしそうしていると手に持ったコーラが危うくなる。あれ、これはこうしてこう持って、おっとっとこっちを落としたら大変、などと、中学一年生の足らない頭脳をフル回転させつつ、売店の側で立ち往生していたら、いきなり誰かにこめかみの辺りを小突かれた。
 なんぞ、と思って振り返ったらそこにいたのはダイナマイト・キッド。苛立たしげな表情で私を見やるキッド、その後ろには当時のタッグ・パートナーだったデイビーボーイ・スミスをはじめとする外国人選手たちが居並んでいる。私がすぐさま道を譲ると、その前をキッド以下、外国人選手たちは控室に向かって悠然と歩いて行く。その後ろ姿を、人前で小突かれたというみっともない自分の状況も忘れて惚けたように眺めていた。
 やがて試合が始まり、キッドはスミスとタッグを組んで中盤の試合に出場した。私はその日、リングサイド最前列に座っていた。テーマ曲に乗って入場しリングに上がったキッド、リングサイド最前列に座っていた私を見つけたらしく、レフェリーのタイガー服部となにやらヒソヒソと話をしつつ、私に視線を送ってきて面白そうにニヤリと笑った。

 閑話休題

 ああいやだ。ダイナマイト・キッドがこの世からいなくなるなんて嫌だ。しかしながらキッドの、この二十年ほど続いた苦しい境遇をを思うとようやく楽になれたのかもしれないという気もする。
 なんだかみんな想い出の中だけの存在になっていく。でも沢山観た。タイガーマスクとの試合も、コブラとスミスと三つ巴でタイトルを争った試合も、三沢タイガーとの試合も、大怪我から復帰した後のカリカリに痩せちゃった姿も、全日本の最強タッグの最終戦の武道館で急に引退を発表したことも、みちのくプロレスでタイガーマスクやドス・カラスや小林邦昭と試合をしたことも、沢山沢山観た。
 結局は、観ることと忘れないでいることしかできないんだよなファンって。だからちゃんと観ないといけないんだ。

 閑話休題

 しかしあのあおり運転の若者は如何にも反省がないというか、正確を記すれば、反省の仕方が判らない/知らないみたいな風に見える。どうやら自分はとてつもなく悪いことをしたみたいだけれども、果たしてその後処理としてどうしていいか判らない、どう感じてどう受け止めてどう行動したらいいか全然判らない。みたいな言動に見える。
 それにしても近頃改めて思うのは、なんというかこの世の中には、人から舐められるということを極度に嫌い、それをされた(と、感じたら)ら、たとい相手を身体的に痛めつけたとて構わない、と頭から思い込んでいる困った人が殊の外多くいるということで、こういう人々が齎す危険から身を遠ざけるには、やはりなるべく近寄らないようにするしかないなあ、と考える次第。あれは関わったらダメな奴だというのを見定める目を養い、そこからなるべく身を遠ざけるようにするしかない。なにしろ相手はまともな会話が成立しないような連中なんだから。
 そう考えると、ほんと最近の接客業は大変だろうね、ああいうの増えちゃったし。またSNSに上げるのを目的として因縁を吹っ掛けてくるのも増えたみたいだし。

 閑話休題

 昔は面白がって観ていたけれど、一旦休止する前の最後の方から、笑いって点数をつけて優劣を競うようなものじゃないよなあ、と思い始めたからM-1系のグランプリものを観たいと思わなくなった。笑いなんて基準があるようで無いし、無いようである、みたいなものだから、審査して優劣を決するなんていうのは無理。同じ人が同じネタをやったところで場所と客が違えば笑いの量が違ってくるのは当然のことで、そういうものを審査して点数を与えて優劣を競うなんて無理だと思う。まあその審査すらもM-1を構成するエンタテインメントになっているというのは理解するけれども、なんというか、笑いの持つ魅力と審査の勝ち抜きのという要素は、根源的にそりが合わないような気がする。

 閑話休題

 僕自身は後からビデオで観たクチだけれども、海原千里・万里の漫才は面白かったなあ。上手くて面白くて華があって若いに似ず妙な貫禄があって。もしもあのコンビが80年代初頭の漫才ブームまで現役でいたら、やすきよの次が千里・万里、ぐらいの感じになったんじゃないかしらん。その後の笑いの勢力図も変わっていただろうね。

 閑話休題

 ほんと、繰り返しになるけど笑いなんて勝ち負けで見るもんじゃないよ。ただただ面白がって見ればいいだけ。これは面白いから好き、これはあんまり、とか思って観ればいいだけ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ベイスターズ四位に終わってるのに主力の年俸がぐんぐん上がってて正直大丈夫かなと思う。昔みたいに変に金銭闘争されると企業イメージが悪くなるのかな。思い起こせば私が小供の頃なんて必ず斉藤明夫と高木豊が年俸で揉めてたっけね。斉藤明夫は年明けまで交渉がもつれて自主トレやキャンプに自費参加したこともあったし、高木豊は年俸調停にまで持ち込んでた。やっぱりFAがなかった時代だから、選手側の権利が小さかったんだろう。いまはそれが増大したぶん逆に、すぐに球団から大減俸をされたりクビを切られるようになったけどね。



2018年12月2日日曜日

すこし愛して、なが〜く愛して

 ありがとうございます。おはようございます。鶴光でおま。っていやいやもちろん私は笑福亭鶴光師ではないのだがどうしたことか私は必ず年に一度か二度、鶴光でおま。と口に出したり文字に書いたりしないと哀しい気分になるという奇病に罹患しているからついつい、ついつい、ついついついつい書いてしまうのであります。気がつけば西暦二〇一八年も十二月に突入し、ああなんたること。私は今年一度も鶴光でおま。と云ったり文字に起こしたりしていなかった。その事実に愕然とした私は今こうして高らかに鶴光でおま、と云った。書いた。ぶっ書いた。これでようやく私も年を越せる。やり残したことがないような気分で越年が可能となる。まあこの暮れへ来てやり残したことがある、なんて云ってる時点でもう間に合わないんだけどね。まあなんでもいいや。そうそう、この「まあなんでもいいや」というのも私の口癖だ。齢を重ねてから人生で大事なのは思考停止だと思うようになった。考えを止めてしまうことは実は重要なのではないかと思うようになった。わかる? わかんなーい。まあなんでもいいや。どうせ大して云いたいことなんかないんだし。鶴光でおま。

 閑話休題

 一生のうちに一度でいいから、新垣結衣みたいなとんでもない美人に向かって「乳頭の色は」「ええかーええかーえーのんかー」とか口走ってみたいものです。きっと叶えられぬまま生涯を終えるのでしょう。

 閑話休題

 現在私はmoto G6 plusというスマートフォーンを使っているのだけれど、つい先日から、この機種に標準搭載されているカメラアプリに内包される形で<a href="http://juggly.cn/archives/232452.html" target="_blank">グーグルレンズ</a>が使用可能になった。いやはやこれは面白い。
 たといば、いつも通る道に咲く花にグーグルレンズを起動してカメラを向けると、たちどころにそれがなんの花であるかを教えてくれる。私は花の種類や名前に全く疎いものだから、これまではその大輪の花を見ても、綺麗に咲いてるなあ。よく世話がなされているなあ。なんて、なあなあな感じの印象しか持たなかったのだが、グーグルレンズをかざした途端、この花がマーガレットであることがたちどころに知れた。
 ほんのわずかな目新しいことだが、こういうちょっとした目新しいことが生活の中に齎されるというのは、実は偉大なことなのだと私は思う。テクノロジーによって生活がほんのちょっとだけ豊かに面白くなる感じ、ほんのちょっとだけ革新される感じ、こういうことがテクノロジーの面白さ・意義だと僕は思う。

 閑話休題

 ラジオ番組『伊集院光とらじおと』を傾聴していたら、パーソナリティの伊集院光氏が、パートナーの伊藤楓アナウンサーに対して「あなたみたいな若い人たちは、わからないことがあるとすぐにスマホで検索をする。自分たち中年はそういう若者をスマホ依存などと云って批判しがちだけれども、じゃあ中年がわからない言葉にぶち当たった時にどうするかというと、何もしない。知らないままでやり過ごす。それを考えたらよほどあなた方若い人たちの方が立派」的なことを云っていて、全くその通りと、番組を再生していたAmazon Echoの前で深々首肯した。
 もう若くはない私とて、Kindleで本を読むようになってから、解らない又は意味をはっきり捉えていない言葉にぶつかると、すぐにKindle内蔵の国語辞典にアクセスして意味を調べるようになった。単語を選択して辞書で調べる、ですぐにわかるからね。そらまあ紙の本であっても辞書を引きつつ読めばいいことなんだけど面倒と思ってこれをせず、長文読解の利点を都合よく使って文脈からなんとなくの意味を推定して恬然としていた。
 テクノロジーが進歩する時に生ずる面白さって、やっぱりこういう細かい部分なんだろう。生活がほんのちょっとだけ便利になる部分なんだろう。

 閑話休題

 しかしグーグルというのはどうも移り気でいかん。過日、音楽をかけようと愛用のGoogle Play Musicを起動したら見慣れぬメッセージ。なんでもYouTubeミュージック、なるサーヴィスが開始され、GPMの有料ユーザーはフル機能が使えるからぜひどうぞ。みたいなメッセージが表示された。早速使ってみたが、まだサーヴィスとしては未完成でGPMの最大の利点と思っているロッカー機能(手持ちの楽曲を五万曲までだったかな、アップロードできる)が使えないし、ちゃんとした楽曲とユーザー投稿の動画とが渾然一体となっていて区別しにくい、みたいな使いにくさがあるのだが、グーグルさんのいうことにゃ、さのいうことにゃ、いずれ両者は統合されYouTubeミュージックに一本化されるという。
 嗚呼、いつか見たグーグルのサーヴィスの混乱。嘗てこうしてGoogle+もInBoxもサービスアウトした。ハングアウトもじきそうなると聞いた。まあYouTubeの看板を背負っているから今度は大丈夫だろうけど、あんまり移り気なのは困るよほんと。

 閑話休題

 どうしてそう思うのか自分でもよくわからないのだけれど、吉澤ひとみが未だ酒を絶っていないという報道を見聞きすると、なんとなく嬉しいような楽しいような気分になる。人間なんてそんなもんよね。という気分になる。

 閑話休題

 大病をするか刑務所に入ると人間は良い方に変わる。てなことを聞いたことがあるけど、どうなんだろうね。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。やっぱりあれかねぇ、森友哉をレギュラーにしたのは炭谷はどうせ出て行くから、みたいなことだったのかなあ。しかし昨今のプロ野球のチーム作りはFAを視野に入れないといけないからなおのこと大変だろうね。昔は移籍の自由がなかったし、看板選手はそのチームを背負って立つのが普通だったからなあ。でもあの頃の看板選手の方が、たとい不人気チーム・弱小チームであっても、そこに入団した以上、選手生命の全てをそのチームを背負うことに捧げねばならないという宿命、制限、枷があったぶんだけ、悲哀というか哀愁というか、そういうロマンチックな要素が色濃くあったね。




ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...