2018年12月2日日曜日

すこし愛して、なが〜く愛して

 ありがとうございます。おはようございます。鶴光でおま。っていやいやもちろん私は笑福亭鶴光師ではないのだがどうしたことか私は必ず年に一度か二度、鶴光でおま。と口に出したり文字に書いたりしないと哀しい気分になるという奇病に罹患しているからついつい、ついつい、ついついついつい書いてしまうのであります。気がつけば西暦二〇一八年も十二月に突入し、ああなんたること。私は今年一度も鶴光でおま。と云ったり文字に起こしたりしていなかった。その事実に愕然とした私は今こうして高らかに鶴光でおま、と云った。書いた。ぶっ書いた。これでようやく私も年を越せる。やり残したことがないような気分で越年が可能となる。まあこの暮れへ来てやり残したことがある、なんて云ってる時点でもう間に合わないんだけどね。まあなんでもいいや。そうそう、この「まあなんでもいいや」というのも私の口癖だ。齢を重ねてから人生で大事なのは思考停止だと思うようになった。考えを止めてしまうことは実は重要なのではないかと思うようになった。わかる? わかんなーい。まあなんでもいいや。どうせ大して云いたいことなんかないんだし。鶴光でおま。

 閑話休題

 一生のうちに一度でいいから、新垣結衣みたいなとんでもない美人に向かって「乳頭の色は」「ええかーええかーえーのんかー」とか口走ってみたいものです。きっと叶えられぬまま生涯を終えるのでしょう。

 閑話休題

 現在私はmoto G6 plusというスマートフォーンを使っているのだけれど、つい先日から、この機種に標準搭載されているカメラアプリに内包される形で<a href="http://juggly.cn/archives/232452.html" target="_blank">グーグルレンズ</a>が使用可能になった。いやはやこれは面白い。
 たといば、いつも通る道に咲く花にグーグルレンズを起動してカメラを向けると、たちどころにそれがなんの花であるかを教えてくれる。私は花の種類や名前に全く疎いものだから、これまではその大輪の花を見ても、綺麗に咲いてるなあ。よく世話がなされているなあ。なんて、なあなあな感じの印象しか持たなかったのだが、グーグルレンズをかざした途端、この花がマーガレットであることがたちどころに知れた。
 ほんのわずかな目新しいことだが、こういうちょっとした目新しいことが生活の中に齎されるというのは、実は偉大なことなのだと私は思う。テクノロジーによって生活がほんのちょっとだけ豊かに面白くなる感じ、ほんのちょっとだけ革新される感じ、こういうことがテクノロジーの面白さ・意義だと僕は思う。

 閑話休題

 ラジオ番組『伊集院光とらじおと』を傾聴していたら、パーソナリティの伊集院光氏が、パートナーの伊藤楓アナウンサーに対して「あなたみたいな若い人たちは、わからないことがあるとすぐにスマホで検索をする。自分たち中年はそういう若者をスマホ依存などと云って批判しがちだけれども、じゃあ中年がわからない言葉にぶち当たった時にどうするかというと、何もしない。知らないままでやり過ごす。それを考えたらよほどあなた方若い人たちの方が立派」的なことを云っていて、全くその通りと、番組を再生していたAmazon Echoの前で深々首肯した。
 もう若くはない私とて、Kindleで本を読むようになってから、解らない又は意味をはっきり捉えていない言葉にぶつかると、すぐにKindle内蔵の国語辞典にアクセスして意味を調べるようになった。単語を選択して辞書で調べる、ですぐにわかるからね。そらまあ紙の本であっても辞書を引きつつ読めばいいことなんだけど面倒と思ってこれをせず、長文読解の利点を都合よく使って文脈からなんとなくの意味を推定して恬然としていた。
 テクノロジーが進歩する時に生ずる面白さって、やっぱりこういう細かい部分なんだろう。生活がほんのちょっとだけ便利になる部分なんだろう。

 閑話休題

 しかしグーグルというのはどうも移り気でいかん。過日、音楽をかけようと愛用のGoogle Play Musicを起動したら見慣れぬメッセージ。なんでもYouTubeミュージック、なるサーヴィスが開始され、GPMの有料ユーザーはフル機能が使えるからぜひどうぞ。みたいなメッセージが表示された。早速使ってみたが、まだサーヴィスとしては未完成でGPMの最大の利点と思っているロッカー機能(手持ちの楽曲を五万曲までだったかな、アップロードできる)が使えないし、ちゃんとした楽曲とユーザー投稿の動画とが渾然一体となっていて区別しにくい、みたいな使いにくさがあるのだが、グーグルさんのいうことにゃ、さのいうことにゃ、いずれ両者は統合されYouTubeミュージックに一本化されるという。
 嗚呼、いつか見たグーグルのサーヴィスの混乱。嘗てこうしてGoogle+もInBoxもサービスアウトした。ハングアウトもじきそうなると聞いた。まあYouTubeの看板を背負っているから今度は大丈夫だろうけど、あんまり移り気なのは困るよほんと。

 閑話休題

 どうしてそう思うのか自分でもよくわからないのだけれど、吉澤ひとみが未だ酒を絶っていないという報道を見聞きすると、なんとなく嬉しいような楽しいような気分になる。人間なんてそんなもんよね。という気分になる。

 閑話休題

 大病をするか刑務所に入ると人間は良い方に変わる。てなことを聞いたことがあるけど、どうなんだろうね。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。やっぱりあれかねぇ、森友哉をレギュラーにしたのは炭谷はどうせ出て行くから、みたいなことだったのかなあ。しかし昨今のプロ野球のチーム作りはFAを視野に入れないといけないからなおのこと大変だろうね。昔は移籍の自由がなかったし、看板選手はそのチームを背負って立つのが普通だったからなあ。でもあの頃の看板選手の方が、たとい不人気チーム・弱小チームであっても、そこに入団した以上、選手生命の全てをそのチームを背負うことに捧げねばならないという宿命、制限、枷があったぶんだけ、悲哀というか哀愁というか、そういうロマンチックな要素が色濃くあったね。




ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...