2018年12月16日日曜日

今日は明日の神話也

 こちらをご覧の平均十人くらいのみなさまおはようございます。いつもありがとうございます。すっかり季節は冬となり寒い日が続いておりますが体調など崩されてはおりませんでしょうか。私はいつもみなさまのことを気にかけております。本当です。その代わりここをご覧ではないみなさまのことなどいっかな気にかけたこともございません。ここをご覧でないみなさまが人生においてどんな苦境に陥ろうが知ったこっちゃありません。勝手に生きればいいと思っています。そんな連中は週に二回くらいのペースでタンスの角に足の小指をぶつけて悶絶したらいいとすら思っています。どうせ知らない人のことだし。と、こんなことを云うと「あいつは冷たい人間だ」との謗りを受けるかもしれませんが知ったことではございません。私は私を大事にしてくれる人だけを大事にしたい。そう思ってこれからも頑張っていこうと思います。来年は亥年です。牡丹肉は口にすると硬くてどうも好みませんが私は亥年の生まれです。ですから私の肉もきっと硬くて口に合わないのでしょう。ではそんなことでよろしくどうぞ御願上げ奉り候。

 閑話休題

 この十年ほどの間、すっかり病院と縁づいておるのですが、そうして病院にお世話になるたびに感ずるのは「どう見ても女性の方に優れた医師が多い」ということ。当節話題の、医大入試において慣例的に男女差別が行われていたという報道を閲するに、なるほどそうだろうなあ、それだけの狭き門を潜り抜けてきたのだからやはり女性医師の方が優秀な人が多いのも当然だよなあ。なんて思ったりなんかしたりしています。もちろん女性医師でもなんだこいつ。みたいなのは居るし男性医師でも立派な人は居るけれども、総体として女性医師の方が話がすっぱりした人、気の良く回る人、ちゃんと聞いてくれる人、優しい人が多いように感ずる。
 かつて、永六輔氏がパーキンソン病に罹患した際、氏がパーソナリティを務めたラジオ番組『土曜ワイド ラジオTOKYO』で「医者は文学を学ぶべき」と云っておられたが、それに通ずるような感覚を持っているのは明らかに女性医師に多い。

 閑話休題

 RPGツクールMVを使って作っているシットコム、できたと思ってテストプレイすると操作のタイミングで止まっちゃう部分が出てきたりしてなかなか大変です。手慰みみたいな感じで作ったものでもこうも手数がかかるんだから、本当のゲームを作るって大変だろうなと改めて思っているところでありんす。

 閑話休題

 しかしこのところ繁華街に出て驚くのはいわゆる「おひとり様」の増えたことで、特に三十歳前後の妙齢の女性が一人で街を歩いている姿を目撃することが、そうさなあ、二年前と比べても随分と多くなった。当節のおひとり様は、その言葉が生まれた頃の、おやじギャルの進化種としてのそれ(一人で焼肉を食べに行けちゃう自分、みたいな、自分を極度に愛する感覚)ではなく、真に一人で行動することを好む人たちに見える。先日もとある日曜日、不図、新宿に出掛けぶらぶら歩いていたら、やはり妙齢の女性が一人でそぞろ歩いている姿をたくさん見かけ、やっばり時代ってのは知らん顔してどんどん変わって行ってしまうなあ。と思った。

 閑話休題

 そんなことを思いながら新宿西口のヨドバシカメラの前を歩いたら黒山の人だかりで、すわ何事、と思ったらどうやらポケモンGOをプレイする人たちのようであった。
 それに気づいた刹那、うーん、そうかあ。これだけSNSで半ば強制的に人と繋がることを要求される時代になると、むしろリアル世界ではそうした繋がりとは離れ、一人で過ごしたいと思う人が増えているのかも知らんなあ、なんて思った。ネットがリアルを侵食するのが完全に当たり前の時代状況。知らないうちに結構な未来に暮らしていたんだな僕らは。

 閑話休題

 そうして僕も御多分に洩れずスマブラであすんでいるのであった。何しろスマブラシリーズ自体、プレイをするのが初めてだからゲーム開始直後はもう何が何だかわからない。画面の中で何が起こっているのか、自分が操作するキャラクターがどれかもよくわからない。果たして自分はいま攻撃しているのかそれとも打っ叩かれているのかそれが把握できない。そうしてなんだかわからないうちに画面の外に吹っ飛ばされて敗亡している。
 しかしそうして敗亡を繰り返す中でも次第に画面の把握ができるようになり、ボタン操作によって自らの意思を画面内のキャラクターに伝えることができるようになり、どうかすれば相手の攻撃を躱して必殺の一撃を加え勝利することができるようになってきた。とはいえまだ結構負けるけどね。要は面白いんだよすっげー。
 そうしてまた、昨今のスマブラ的な対戦ゲームのすごいところは、一人であすんでも十分に面白いということだ。僕が子供の頃はといえば、コンピュータの性能がまだまだ低かったから、CPUと対戦をすると割と簡単に勝てることが多かった。それはまあ理不尽な強さを誇る対戦型ゲームもあったけれども、それはあくまで強いというだけのことで、当節のゲームのように恰も人間と対戦をしているかのような感覚までCPUが表現をすることはなかった。
 いやほんと、ぼーっとしているうちに時代ってどんどん進んでいってしまうよ。

 閑話休題

 それにしても最近の任天堂のゲーム、スマブラもそうだしゼルダの伝説BoWやマリオカートなんかもそうだけど、エンディングに表示されるスタッフロールの長さがマジ物凄い。あの長大なスタッフロールを目にするたびに、一本のゲームが世の中に出るまでに必要となる人間の数の多さ、掛かっているお金の物凄さを感じ、世の中におけるゲームの立ち位置が如何に高いところにあるのか、を感じる。
 そうしてまた、初代ファミコンの頃と現在を比べてみるに、あの頃はもはや神話の時代、歴史上かつてあった時代、になっているんだろうなあとも思う。

 閑話休題

 そう、神話の時代は確かにあった。だって俺はそれを全部見て、いまここにいるんだもの。ほんと全部見た。マジ全部見てきたよ。『PONG』ですら近所にあったパッティングセンターで友達とあすんでるし。

 閑話休題

 あとあれだよね「高輪ゲートウェイ」なんて何年かしたらしれっと「高輪」に改称されてるよねたぶん。
 しかしああいう名称のような、新しぶりっ子が好きな人っているんだよなあ。じゃあゲートウェイの発想と対極にある感じの「芝浜」が良いかと云われるとまたこれも困るけどね。まあ迷ったらシンプルにするのが一番良いよな何事も。

 閑話休題

 駅といえばほれ、近頃電車に乗ると英語で駅名のアナウンスが入るでしょう。英語訛りっつーか、カタコトみたいな感じで駅名を読むでしょう。あれ、英語圏の方には耳馴染みがいいのかしらん。あのイントネーションの方が記憶に残りやすいのかしらん。英語を介さない私の耳にはふざけているようにしか聞こえないんだよなあ。あのカタコトのイントネーションで「フネノカガクカン」なんて発声されると、名状し難い可笑しみが湧いてくるんだがなあ。

 閑話休題

 あの駅名を読むのって、いまから二十年以上前に、クロード・チアリの娘がアナウンスしてるって本人が云ってるのをラジオで聞いたけど、いまもそうなのかな。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。『JOY』て映画をAmazonビデオで借りて観たけどいやあ、やっぱりデヴィッド・O・ラッセル監督の映画は僕ぁ好きだ。人間ってダメだよね,でもそこがいいんだよね、的な優しさがあってすごく良い。優しくない人はなに作っても駄目。



ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...