2019年3月29日金曜日

Think Different.は遠くになりにけり

 しかし今年はなんという年なんだろうか。まだ今年が始まってから三月しか経たぬというのにピエール瀧氏は逮捕されるしショーケンは死んでしまうし森昌子氏は辞めると云い出すしイチロー選手は引退してしまうし獣神サンダー・ライガー選手も来年には辞めるというし市原悦子氏も死んでしまうしザ・デストロイヤー選手も死んでしまうし和久田麻由子アナは結婚してしまっていたというし『荒川強啓デイ・キャッチ』も終わってしまうというしAppleはこの数年のあいだ新しいイノベーションを全く起こせていないのに動画サービスだとか定額制のゲームコンテンツだとかそんなことにうつつを抜かしているしああなんかもういろんなことが起こりすぎてわけがわからない。これが時代が変わるということなんだろうか。時代の変わり目ということなんだろうか。元号が変わるなんてことは、まあそれはそれで大変なことだけれども、人の生き死ににそれが直接関わりがあるとは思えない、が、これだけ重なるとやはりどこかに連携連帯があるように思われてならん。時代の空気を感じ、それに合わせる形で人々が行動を変えてしまうような機能が社会や人間の深層にあるような気がしてならない。いやあ、にしても時代が変わるってすごいことだよまじで。それまであったこと、それまでいた人々、それまであった価値観をずずずと、過去のものとして一気に押し流してしまうんだから。

 閑話休題

 なるほどそう考えると、昔の日本人が「この度は飢饉とかあったから、いっちょ元号を変じて世の中の気分を変えてこましたろ」的な感じで元号を変えていたというのもわからんでもないね。

 閑話休題

 上の上の項でちらと書いたけど、ほんと最近のAppleってまじつまらないですね。iPadを出したのを最後に、Appleが新しいイノベーションを起こしたってほとんどないんじゃないよね。強いて云えばAirPodsぐらいじゃないかしらん、これがあることで人々の生活の一部が変わってしまう、と云える製品は。Apple Watchったってなあ、あれはちょっと大仰すぎるし、スマホの機能を腕時計に納めているだけで、あれを持つことで生活の一部が変わってしまい、それまでの価値観を時代遅れのものとして押し流してしまうというものではないよね。Apple Watchが真に新機軸だとしたら、それによってスマホがある程度駆逐されていなくてはならんはず。ところがApple Watchは腕時計にスマホの機能みたようなものを追加しただけで、スマホは疎か既存の腕時計を駆逐することすらできていない。

 閑話休題

 Macが本質的に世に現れたことでコマンド打ち込み型のPCインタフェイスが、時間はかかったが駆逐された。最初のiMacが現れたことでベージュ色のPCが家庭から駆逐され、ケーブルの接続もUSB中心となりそれ以前のSCSIなどが駆逐された。iTunesが登場したことにより音楽はデータとして取り扱うようになりCDなど録音メディアが駆逐された。iPodが現れたことで何枚ものCDを持ち歩く行為が駆逐された。Mac OS Xが現れたことでPCのオフはスリープが前提となり頻繁な主電源の操作が駆逐された。iPhoneが現れたことで人間がインターネットに常時接続するようになった。iTunes Storeが現れたことで、CDを購入するという行為が駆逐された。App Storeが現れたことでソフトウェアに対価を支払うことから”勿体ない”という感覚が駆逐された。Appleが成し遂げたイノベーションは此処まで。おそらく、それまでの生活を変えてしまうような革新・新機軸はAppleからは生まれないだろうと思う。理由はないけどそんな気がする。革新的だったAppleはもう歴史の中のことになった気がする。革新を生み出す存在としての役割を終えたということなんだろうと思う。

 閑話休題

 iPhoneがあるのはもう生活の中では当たり前のことで、いまそれを手にすることで、高級感は得られるだろうが生活の一部分が革新されることはない。だがアマゾンエコーを導入することによって生活の一部が確実に変わった。Netflixに加入することでテレビ放送を視聴するという行為の大半が駆逐された。こういう革新はもうAppleからは生まれないだろうと思う。これからAppleが生み出せるのは既存の製品・サービスをAppleの文脈に合わせて作り直し「この製品・サービスはAppleの手によって完成された」との印象を与えることだけ。そうして、その製品・サービスに於けるスタンダードの地位を他所から奪い取るだけ。そこに革新はない。

 閑話休題

 いまみんなiPhoneを持ってるけど、みんなが持ってるってことは、どんな馬鹿でも持っているってことだからね。

 閑話休題

 同様にみんなが観てるものってのも、どんな馬鹿でも理解できるっていうことだからね。

 閑話休題

 つまりあれなんだよな、私にとってのAppleっていうのは、iPhone・iPadを出すまでのApple以外の何物でもないんだよな。いま、Apple Storeに大挙してやってくるような洒落乙な人々が絶対に興味を抱かなかった頃のマニアックでファナティックだったApple。ところがいまや、かつてのAppleには絶対に興味を抱かなかったような人々ばかりが、いまAppleを唯一無二の存在として有難がり、各地のApple Storeに日々参集している。

 閑話休題

 てなことを、極めて洒落乙な人たちが極めて洒落乙な感じで集っている極めて洒落乙な表参道の極めて洒落乙なApple Storeの店内で思いましたとさ。

 閑話休題

 お。ほほほ。今日は結構真面目な感じで書いてるねぇ。まあ、面白くはないのかもしれないけど。つーかいつも面白くないのか私の書くものなんて。まあいいや。そういえば昔、立川談志家元が「客から面白くないといわれたときに”プログラムのどこに面白いと書いてある”と云い返した」とまくらでよく云っていたけど、そんな感じで当意即妙な言葉を云い返せるようになりたいもんですな。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ベイスターズ優勝しねぇかなあ。三位からの下剋上じゃなくてリーグ優勝してくんないかなあ。まだそれを実現するだけの揺るぎないものがチームに出来上がってない感じはするけど、なんかの間違いでもいいから優勝してくんねぇかなあ。前に優勝してからもう二十一年だよ。八十五年にタイガースが優勝したときに二十一年ぶり! って大騒ぎになったけど、あのとき中学生だった自分は、二十一年という年月をリアルに想像することができなくて、なんか長そうだなあ。ぐらいにしか思わなかったけど、この歳になってみると二十一年なんてあっという間、だけどもその間、自分がなにをやってきたかを振り返ってみると、かなりの長さであることもわかって、って、うーんと、とにかく優勝しろやいい加減そろそろ。確率からいえば六年に一遍はリーグ優勝できるはずなのになにやってんだまったく。






ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...