映画の後半、それまで跛引き引き漸う歩いていた植木等氏演ずる主役の男が突如として真の姿を現し、無責任男としか表現のしようがない活躍ぶりを見せるところなどまさに大喝采もの。基本的には群像劇なのだが、そのあたりの面白さも抜群で、いやあまじで観たい。なんとか権利関係をクリアしてディスクでも配信でもいいから観られるようにしてもらえませんかね、というお話し。
閑話休題
齢を重ねてくると記憶がたくさん出来てくるからどうしても現在の事象に対してすぐに関連するような・似ているような過去の記憶を引っ張り出すことが先に来るようになってしまう。記憶の中に生きる時間がだんだん増えて来る。
閑話休題
しかしあれだね、Twitterなんかであらゆる事象に対して自分の主張、右掛かっていたり左掛かっていたり、そういう主張を投げつけてくる人を見ていると、もはや大喜利だよなあ、という気がしてくる。手前ェの主義主張を表明する/押し付ける為にあらゆる事象・話題を利用する輩が多くて、なんだか暗澹たる気持ちになる。ほんと、あの手の連中を見ていると、どこまでの話題ならば自らの主義主張に結びつけることができるか、という大喜利をやってるように見えるン。
閑話休題
過日『タモリ倶楽部』を観ていたら信号機マニアの若者が登場していた。番組の中でその彼は、信号機に対する愛情に満ちた個人サイトを運営していると紹介されていた。
そうなんだよなあ、インターネットの醍醐味の一つってそういうことなんだよなあ。商業ベース、とてもマスコミには乗ることがない個人の異常な趣味(同好の士がほぼいないような!)、みたようなものが観られること、これが面白かったんだよな、と思った。行き場のなかった対象愛の迸り、というかね。
嘗て、ダイヤルアップでインターネットに接続していた頃、私なぞもそういうサイトをずいぶん観ていたっけ。一九〇〇年代前半のクラシック映画をぐんぐんに紹介しているサイトだとか、昭和のプロレスについてぐんぐんに紹介しているサイトだとかね。中でも、プロ野球関連のサイトで、東京スタヂアム時代の東京オリオンズから、現在の千葉ロッテマリーンズに到るまでの変遷を貴重な資料と共に紹介しているサイトなどは、深夜に観ていた時に、その純真さに感極まり覚えず落涙したこともあった。まじで。
あの時代がもう戻ってこないことは充分承知しているが、それだけにひどく懐かしい。あれからまだ二十年も経たぬというのに。
閑話休題
あの頃はここまでインターネットが人々の自己愛で満たされるようになるとは夢にも思わなかったよ。まあそう云っている自分もこうして自己愛を放出しているのだから同じ穴のムッジーナだけど。
閑話休題
ではそんなことでお後がよろしいようで。ああそうそう、先日、有楽町は朝日ホールで開催された五代・桂三木助襲名披露口上を観てきたけれども、いやあ、新・三木助師はいいねぇ。まだ三十半ばだから重厚感というか貫禄はないけれども、なんというか、芯のところが頑丈な感じがして、東京の落語を存分に聴いた気分になる。自分は当然、当代の祖父にあたる三代目・三木助はリアルタイムでは知らず、テープでしか聴いた事がないけれど、不図したときの声音や口調がやはり似ているように感ずる。当夜演じた談志家元に教わったという『五貫裁き』も良い意味で小ざっぱりとしていてまことに程が良かった。これは落語家に限らないけれども、登り坂にある人を観るのは楽しいネ。
閑話休題
<a href="http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/" target="_blank">僕のホームページ</a>もよろしく。さてさて自己愛が強いのでしょうかどうでしょうか。