2019年1月4日金曜日

立って半畳寝て一畳天下取っても二合半(実験)

 夜になると寝てしまう。ひとり布団に入るとその中は体温で次第に暖かくなってくる。現実と夢の境が次第に曖昧となりふっと眠りに落ちる。数時間すると目が覚める。もういい歳だからそんなにたくさんは眠れない。すっかり目覚めてしまう。しかしまだ朝は早い。陽も昇っていない。布団の中は暖かい。冬だから外は寒い。だからできれば出たくない。
 僕は出なくもいい人だからずうっと布団の中にいる。でもいい歳だから二度寝もうまくできない。外は冬で気温が低いし世間の風は冷たく人の心はなお冷たい。しかし布団の中は暖かい。暖かいからずぅっといる。僕はずぅっといてもいい人だからそこにずぅっといる。でも中年も終わりかかっているから二度寝はできない。すると頭の中には妄想が広がってくる。現実にならない思いが具体性を伴い頭の中のスクリーンにビスタビジョンで上映される。
 僕は妄想の中では完璧な人間だ。勇者だ。英雄だ。天下人だ。全てが思いのままになる。かつてしくじった事柄もここでは全てがうまくゆく。かつてしくじった人たちもここではみな僕に良くしてくれる。現実ではいままさに失敗しつつある事柄だってすいすいと成功に向かって動き始める。水着姿の傳谷英里香ちゃんから好き。と急に真剣に告られたのにお前タイプじゃないからゴメンな。なんて簡単に断って彼女を泣かせたりもする!
 妄想は素晴らしい。妄想は素敵だ。現実よりはるかに素晴らしい。ここから出たくない。外は冬で寒いし世間の風は冷たいし人の心はなお冷たい。現実なんか嫌いだ。布団から出たくない。妄想だけをしていたい。妄想をしていればこうして寝ているだけで天下人になれるのだからよほど妄想の方が素晴らしい。
 妄想をする僕はいまや紛う事なき天下人。立って半畳寝て一畳天下取っても二合半。ここに二合半という言葉が入っていることからわかるように天下人とて腹が減る。寝ているだけでも腹が減る。生きているかぎり腹は減る。腹が減っては戦もできないし妄想も広がらなくなる。気づけば頭の中はものを食うことで満たされてしまう。泣いていた傳谷英里香ちゃんも大急ぎで消えていってしまう。代わってオムライスの画像が頭にばあんと効果音付きで浮かんでくる。その表面にはケチャップで「USB-C」と書いてあって食欲が大いに刺激される。頭の中がオムライスでいっぱいになってしまう。こうなるともう駄目だ。かくて泰平の夢は破られた。かくて妄想は現実の前に容易く敗れ去った。暖かい布団を出て冬の寒さと世間の風や人の冷たさに立ち向かわねばならん。
 ふん。と、裂帛の気合と共に掛け布団を蹴り上げる。寒い冷たい寒い冷たい。冬は寒く世間の風はやはり冷たい。人の心も冷たいに決まっている。暖房は嫌いだからつけないしストーブは火事が怖いからつけない。湯たんぼは間違ってお湯を飲んじゃうといけないから使わない。だから僕の周囲にあるなにもかもが冷え切っている。傳谷英里香ちゃんが冷たい人だったら嫌だな。
 現実は冷たく辛い。妄想はあんなに楽しいのに現実は辛い。しかしいつだって勝利するのは現実だ。冷たく辛い現実は妄想の上位自我だ。結局は現実の通りに僕も動かされてしまう。そうして僕は現実の奴隷となり、暖かく優しい布団を出て冷たく辛い現実に身を置いた。
 映画『レディ・プレイヤー1』では仮想世界に耽溺する主人公が艱難辛苦の末、そこに蔓延る悪を倒すことで彼が住まう現実を少し良いものにした。まさにスピルバーグの映画。ハッピーエンド。それがエンターテインメント。しかしその幸福な結末こそがエンターテインメントの限界。僕にはこの主人公が幸せを獲得したとはとても思えない。現実が良くなったところで所詮現実は冷たく辛い。人の心も冷たいままだ。いま抱き合っている女性が明日も抱きしめてくれるという保証はどこにもない。
 映画『未来世紀ブラジル』の主人公、サム・ラウリーは幸福な妄想の中に永遠に封じ込められた。二度と現実世界と関わることはない。しかし彼の方が僕の目にはよほど幸せと映る。絶望に満ちた現実を見ることなく自分が体験したいと念願する妄想の中に生き続けられる(あるいはその妄想の中で死んで行ける)彼のなんと幸福なことか! 冷たく辛い現実から完全に逃げ果せた彼のなんと幸福なことか! 艱難辛苦の果てに愛する女性を救い出し幸せな生活を獲得(しかもその女性は二度と彼を裏切らない!)した彼のなんと幸福なことか! 生暖かい布団の中から二度と出なくて良い彼のなんと幸福なことか!
 オムライスは旨かった。ちゃんとケチャップで「USB-C」と書いた。現実も捨てたものではないのかもしれないと少し思った瞬間にオムライスが載っていた皿を落として割った。
 いまは一月四日。正月早々僕はまたしても現実の冷たさと辛さを味わった。もういやだ。現実は嫌だ。どうせいつまでだって寝ていていい僕だ。また寝よう。暖かい布団に潜り素敵な妄想の中に暮らそう。水着姿の傳谷英里香ちゃんと南の海で泳いで過ごそう。布団はすっかり冷えてしまったが寝ているうちに僕の体温で生温くなるだろう。遠くから陽気なサンバのリズムが聴こえてきた。まだ現実は楽しいものだと思っていた頃になんども聴いたあのリズム。クレシェンドする「Brazil」のメロディに包まれ僕は妄想の中に完全な生を獲得する。布団の中はどこまでも生暖かくて生易しくて生優しい。

ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...