2019年1月11日金曜日

きのうの続きがきょうになる

 あけましておめでとうございました(過去形)。

 閑話休題

 今年はやるぞ。作品をたくさん作るぞ。そうだ今年こそ俺はやるんだ。いままで寡作だったぶんを取り戻して驀進するんだ。と、決意を新たにし、相応に行動も変え始めた二〇一九年正月、だったにも関わらず、その矢先である五日に風邪を引き込みダウン、その後、四日間もウンウン唸って寝込んでしまう為体。
 こうなるとせっかく新たにした決意も何処へやら、やはり今年も何も変わらないのかもしれない。今年も何もいいことはないのかもしれない。もう僕の人生はこんな調子で無残な感じで終わってゆくのかもしれない。と、悲しい気分になっているところであります。
 まあそれでもインフルエンザに罹患していなかったことは物怪の幸い、そう思って自分で自分を励まし鼓舞しているけれどもやっぱり僕はもうダメです。空元気すら出やしません。それが証拠にもう二十五年も好きなままでいる内田有紀嬢のことを思ってもいっかな元気が出ません。『夜空にYOU KISS!!』の録音を聴いても元気が出ません。ファースト写真集『YOUKISS』はもうずいぶん昔に売っちゃったんで手元にないし。
 これはもう非常事態です。僕的非常事態宣言です。トランプが作ると息巻いている国境の壁どころの騒ぎではありません。まじ誰か助けてください。助けてくれないのならばせめてお金をください。あるいは、これをご覧のあなたが若くて素敵な女性であるのならば是非おっぱいを触らせてください。もう僕はダメです。だから助けると思って金を寄越すかおっぱいを揉ませるかしてください。できたら金かおっぱいが絶対に必要なのです。

 閑話休題

 こんなことを書いたすぐ後くらいに、私が泥棒や痴漢を働いた廉で逮捕されて新聞種にでもなった日には、このブログが世間に出るのだろうなあ。一丁やるか。ってダメだやっちゃ。

 閑話休題

 このところテレビジョンの報道を閲していると、なにがしかの犯罪を犯した犯人・容疑者のFacebookやツイッターのアカウントがすぐさま発見、放送されるのが当たり前になりましたな。これを見るたびに『古畑任三郎』で云ってたように、人間誰しも犯罪者・殺人者になる可能性があるということなんだろう。別段、犯罪者や殺人者が我々とは種類の違う人間という訳ではないことの証左がFacebookのアカウントなんだろうと思って、自分だっていつそうなるやもしれないという想像力だけは失わないようにしたいものと思う。

 閑話休題

 ほんと、これからは犯罪者やノーベル賞受賞者の卒業アルバムを探すのに変わって、SNSのアカウント探しに躍起となるんだろうね我が朝のテレビ報道の人たちは。次の元号の世では、すごい犯罪を犯した人が高校時代にアップしていたTikTokの動画、みたいな間抜けな報道を目にすることが増えてくるんでしょうな。何年か後に自分がすごい犯罪を犯すなんてことをまるで想像だにしない感じで楽しそうにくりくり踊っている動画とかが世の中に流されたりするんだよこれから。くわばらくわばら。

 閑話休題

 そうはいっても昨日あたりからは体調も上向いてきたので田崎健太氏が著したkindle本『全身芸人』を読んだのであった。
 作家・演芸評論家の吉川潮氏が書かれた数々の芸人伝ものが、芸人の人生を物語化した、その芸人の内側に立ったものだとすると、こちらはずいぶんと対象となる芸人との距離感があるように感じた。しかしながらそれによって、ドキュメンタリーとして迫力のあるものに仕上がっていると感じた。冷静な目でその芸人のあり方と、時代との乖離を描いていると大いに感心して読んだ。トリを飾るこまどり姉妹の来歴など完全に芸人残酷物語として、当の芸人自身が練り上げてきたものに他ならないと思うのだが、それを物語化するとことなく、それを語る、八十歳を超えた子飼いの芸人の姿を描いているのが物凄い。そういうある種の冷ややかとも云える高所大所からの視点が貫かれているのがドキュメンターとしてとても良いと思って読んだ。

 閑話休題

 私が思う”芸人”というのはやはり当該書籍に紹介されているような、カタギの世界では到底暮らすことができない困った人たち、結界の向こう側に行ってしまった人たち、のことで、軽々しくそれになれるものではないという憧れと畏れが同居する存在。だから簡単に”芸人”という言葉を使うことができない。然るに当節のバラエティ・タレントが「僕ら芸人なんでー」なんて、結界の向こう側に行く覚悟もなく(というかそんな結界があることすら気づかない)軽々に口にするのを見るたびに、こんな風に言葉に対して鈍感な奴が真に面白いものを作れるはずがない。と思って嫌な気持ちになる。

 閑話休題

 芸人周りのエピソードで好きなのは、戦前の頃から浅草などの繁華街を浮浪児のごとくうろつき、大量の演芸、エンターテインメントを鑑賞してきた色川武大氏が、藝人という存在を、世間からドロップアウトした存在として世間の基準から見れば実にいい加減な人間であると描いたのに対し、戦後の浅草フランス座で座付き作家として内側からそこに参加していた井上ひさし氏が、藝人とて銀行員と同じように真面目に仕事に取り組んでいた、と真っ向から主張を異にしていたこと。聞けば、二人はその主張の違いからパーティなどで顔を合わせても誠にそっけない態度を取り合っていたという。しかし色川氏が逝去されたのち、井上氏が、色川氏の書斎を訪れた際、自分が血眼になって集めていたアメリカのコメディのビデオなどが書棚に並んでいるのを見つけ「内側と外側、見る方向が違っただけで同じものを見ていたのだ」と深い感動に包まれた。という話が私は好きでありんす。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。Netflixに入っていたから久しぶりに『めまい』を観たけど、いやあ、面白いのはもちろんすごく面白いんだけど、やっぱりヒッチコックって異常な変態だよなあ。と思った。





ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...