2018年5月18日金曜日

すべて時代のせいにして

 その当時、自分が年端も行かない小供だったことを割り引いても、七十年代後半のテレビというのはまだ夢の国だったように思う。我々庶民の住む世界とは隔絶された世界、多少大袈裟な物云いをすれば、ブラウン管を通じて天上界を覗くような感覚で、仰ぎ見るようにしてテレビを観ていたと記憶している。
 そんな天上界の中でもひときわ大きく輝いていた星々、スター、その一つが西城秀樹だったと思う。
 八十年代の十年間でテレビという天上界はすっかり下界に降りてしまい、庶民の住む世界と陸続きになった。じねん、天上界に住まう人だった西城秀樹をはじめとする数々のスターは時代の向こうに追いやられた。それでも天上界に住んでいた人々が持つオーラは、たとい時代が変わっても消えることはなかった。彼ら、かつて天上界にいたスターを見るたびに、かつてそういう世界があったこと、それを仰ぎ見ていた記憶が蘇った。
 巨きな星がひとつ消えて、あの頃といまの自分を繋ぐ懸け橋がひとつなくなった。やがて全ての星が消え、あの頃の世界が、自分の記憶の中にだけ存在するものになるんだろう。最後はその自分すらも消えて、かつてテレビを観ることは恰も天上界を覗くが如き素晴らしいものであった、と誰かが文字に書き残す唯の”歴史”に変わる。

 閑話休題

 あれは小学二年生の頃だったと記憶するけれども、テレビだったかラジオだったかは忘れたが不図、聞こえてきた『<a href="https://youtu.be/pDUpRSGpMfM" target="_blank">ブルースカイブルー </a>』を聴いたら一発で参ってしまい、歌詞の意味は解らないながらもしばらくの間、登下校の際に頭の中で曲を再生しながら歩いていたものだったなあ。ラジカセすら持っていなかったから頼りは自分の記憶のみ、まして小学二年生の脳味噌だから曲を完璧に憶えることなど出来よう筈もない。だから、頭の中で勝手に曲を編集してしまっていた(後年、小遣いでレコードを買ってようやく頭の中で編集していることに気づいた)のだけれど、それでも頭の中で絶唱すれば気分は高揚、そうして雲ひとつない青空を眺め「ブルースカイブルー」という曲名から受ける、言葉が二度塗りされたような語感にそこはかとない可笑しみを覚えつつ登下校していたことを思い出す。あー、できたらあの頃に戻りたいネ。

 閑話休題

 そうはいっても僕は八十年代に、テレビの世界なんて嘘っぱちだ、とばかりにそれを破壊しまくったビートたけし師の存在と行動に快哉をあげ、影響を受けまくったのだけどね。これは別にたけし師が元凶、みたいなことではなくって、それが時代ということなんだろうと思う。時代が天上界の存在を許さなくなっていたのだと思う。そこにたけし師という、次の時代を背負える才能がたまたまいた、ということなのだと思う。そういう存在が時代の寵児、ということなんだろう。時代ってのは知らん顔して変わっていってしまうものだからね。

 閑話休題

 時代の寵児、と思ったり書いたり云ったりするたんびに、レツゴー寵児、と云いたくなる衝動を抑えるのに苦労する。まあ、時代の寵児、なんて言葉ぁ滅多に使いませんがね。

 閑話休題

 やはり時代が変わったな、と思うことは他の世界でもやはりあって、たといば、いまから十年前のホリエモン氏や三木谷氏のような感じで世の中に出てくるIT関連の人、というのはもう現れないと思う。あれはあの時代だったからこそ、ああいう「新奇な人種」みたいな形で世の中に出てくることができたのだと思う。これが当節のように、プロ野球十二球団のうち1/4に当たる三球団をIT企業が保有する時代、つまりはITの存在が当たり前の時代にあっては、ああいう形で世の中に登場することはないだろう。
 その代わり、広く世間に浸透した当節のIT長者は、剛力彩芽や石原さとみを平気で掻っ攫ってゆくようになった。そこまでのレベルで世の中にITとそれを主導する人間の存在が浸透した、そういう時代に変わったということだ。

 閑話休題

 プロレスもそうだったよな。吾輩が餓鬼の時分のプロレスの世界って、恰も、鬼たちの棲家のように思って観ていたものな。下手に近寄ったら殺されるぐらいの感覚で観ていたよなあ。それがストロングスタイルということだったんだろうなあ多分。

 閑話休題

 話は変わるがやっぱり言葉ってのは、広く流布・浸透してしまうとその持つ力が弱まってゆくよね。一年くらい前から、無駄にメンタルが強いような人が「はは。私のツイートが炎上してる」なんつって、自分が発した品性の下劣なつぶやきに続々と反論が寄せられているのを、どこか嬉しそうに眺めている、みたいな状況を目にすることが増えたように思う。もうこうなると炎上、という言葉が本来持っていた、只事ではない様子、の意味合いは霧消してしまう。
 斯くの如く、感性の鈍い人がみんなが使っていて面白そうだからというだけで言葉を濫用すると、あっという間にその言葉の命脈は尽きてしまうよね。

 閑話休題
 
 ではそんなことでお後がよろしいようで。他所様のことながら、タイガースはどうして掛布雅之より金本監督を選んだのかねぇ。

ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...