2018年5月16日水曜日

人間なんてララーラーラララ ラーラー

 ああ、国際信州学院大学の偽サイトはよく出来てて面白いなあ。公式サイトもいい塩梅にギャグが散りばめられていてとても面白い。大学の歴史を紹介するところなんて特に好きだ。周辺のツイッターアカウントもみんな同じぐらいのレベルで作っていて、そのレベルから外れているのが無いのもいいね。終着点が見えなくなるような作り方だけど面白いからどんどん頑張れ。

 閑話休題

 しかしこうした案件に際して、簡単に釣られてしまう人ってのが結構な数いるものだと改めて思わされる。そうした釣られ上手な人々を見るたびに、嗚呼、人ってのは、話題になっている事柄に対してとにかくひとこと云いたいものなんだなあ、いっちょ噛みしたいものなんだなあ、と思わされますな。
 ましてこれがSNSの時代たる当節となると、自分もなにかを発言せねばならん、何某かの意見を持たなくてはならん、話題の輪の中には入らなくてはならん、と皆普通に思い込んでいるから、結句、傍観者でいることができなくなってしまうのだろうなあ、と思いますです。まあ、云ってる俺がまさにそうなんだけどネ。

 閑話休題

 んまあ、そうねぇ、おいらの拵えた作品であっても「これは本当にあった話なんですか」なんて云っている人が結構いたからねぇ。明らかにギャグとわかる異質な文言を入れてあったり、どう見てもセコイに過ぎるデザインだったりしているのにそこには全然気がつかないでね。
 つーか、アレなんだろうな、人って、自分が発見したものを本物だと思いたい、偽物だとは思いたく無い、という深層心理があるのかもしらんね。一旦、本物だ! と思っちゃうと、散りばめてあるギャグすらそれと気付かなくなっちゃうのかもしらんなあ。だって嘘の話に対して真剣に意見してたら馬鹿みたいだものね。みんな馬鹿にはなりたくないものね。
 ほんと、人間ってのぁ面白いですなあ。

 閑話休題

 話は変わるんですが、いまこれだけの世の中で、まだ「アニメオタクは犯罪予備軍」とか思ってる人なんているのかしらん。いるとすればそれは最早、これまでのマスコミの報道に踊らされているだけの人なのではなかろうかね。まあ、見出しを作る側にしてみれば、ある種のテンプレートに従っているんだろうけどね。大衆の中に広く流布しているフレーズの方が読者のイメージを喚起しやすいから、アニオタ=犯罪予備軍、と、とりあえずしておくんだろう。

 閑話休題

 しかしインターネットが広く行き渡ってから、旧来からあるマスコミが時代をリードして作ってゆく、という現象が全く見られなくなりましたな。当節の旧来マスコミを見ていると、世の中の移り変わりに、押っ取り刀で後を付いてくるばかり、に見えて仕方がない。もう世の中のスピード感が変わってしまったんだろうなあ。

 閑話休題

 頭にボールが当たったら死ぬぞという高校野球の先生vs無法なタックルをしろという大学アメフト部の監督。

 閑話休題

 そらまあ大昔に田淵幸一が頭にデッドボールを食らった時には実際に死にかけたし、かつてのスワローズの名三塁手、角富士夫も守備機会の際に打球が頭に当たり頭蓋骨を陥没骨折、次に同じところに打球が当たったら命の保証はできないと医師に云われたというからなあ。そらあたかが野球とはいえ硬球が当たったら死ぬこともあるわいな。まあ、その言葉以前に、その監督さんが生徒に対して相当にひどい叱り方をしたんだろうがね。

 閑話休題

 でもあれだ、私なんかが餓鬼の時分には随分と乱暴な叱り方をする教師が結構いたものだけれど、あれから三十年以上の月日が流れたいま思い返すとそれも懐かしい良い思い出、なんてことは全然思わなくって、いま思い返してもまじむかつく。無駄に威張ってやがって。手前ぇの乱暴狼藉を、我々の行為の所為だと正当化しやがって。
 思い出すのはあれは吾輩が中二の時、指した生徒が満足に答えられなかったというだけで逆上、教師自らが一週間に渡り授業をボイコットした、ってこともあったっけ。しかも次の年になったらそれを生徒を脅す材料にしてやんの。「あの時を経験してる奴もいるだろう」とか云って。いま思えばあいつの振る舞いはまるっきり馬鹿のそれだったよなあ。
 おっさんになったいまの頭脳と了見を持ったままあの頃に戻れるなら、当時の教師連中に、手前ぇらの行動が如何に道理に反しているか、ということを滔々と述べて大いにとっちめてやりたい気がする。

 閑話休題

 それはもちろんあの頃みたいな理不尽な教育はしてはならん。そういう教師がいまもいるなら早く絶滅した方がいい。が、その一方で、人間というのは放っておけば他人に対して理不尽な振る舞いをするものだ、という認識は持っておかねばならん。

 閑話休題

 話は変わりますが、近頃あまりテレビを観ないのでよくわからんのですが、あのほれ、小藪さんっていう関西のタレントの人、あの人、バランス感覚にすぐれた発言をしていてとても良いね。

 閑話休題

 あとあれですよ、このところ頓に思うのは、玉袋筋太郎師ってまじすごいよなあ、ということですよ。あの芸名でマスコミに出て売れているというのは、本当に一つの奇跡だと思うなあ。実際、ものすごく面白いし。いま、ビートたけし師の遺伝子をいちばん強く感じさせる人だと思う。真っ当な東京芸人の系譜にある人という感じがする。

 閑話休題

 やはりこの、褒めるよりも貶す方が簡単なんだろう。嫌なこと・不快なことってのは、違和感として自分の中に残りやすい。だからすぐに気が付いて言語化することができる。翻って、良いこと・快適なことっていうのは、ごく自然に自分の中に入ってしまうから気づきにくく、従って言語化するに至らない場合が多い。
 それに嫌なことはすぐに吐き出して楽になりたいし、良いことは別段吐き出したいとは思わない。だから勢い、貶す方が増えるんだろう。自戒を込めて常にそう思っておかなければいかんネ。たとい貶す時でも洒落っ気を忘れてはいかんよね。

 閑話休題

 しかしあれかね、二十年三十年前と比べると、テレビ番組もコンプライアンスが重視されるようになって、随分と清浄な番組が増えたと思うのだけれど、かつて、テレビは俗悪と云って文句ばかり云っていた市民の皆様ってのは、いまの清浄化したテレビ番組に大層満足して、それはそれは日毎夜毎に熱狂してテレビを観ているのかしらん。あの頃、『全員集合』や『ひょうきん族』を俗悪として怒っていた人たちっていまどんな風にしてテレビを観ているのだろうね。それとももうみんな死んじゃったかな。

 閑話休題

 水清ければ魚棲まずと申しましてな。世の中が清潔になったら途端にアレルギー持ちが増えたりするのが世の習いですからな。

 閑話休題

 いま上で『全員集合』って書いたけれども、いまはもうこれだけだと通用しないのね。我々の年代の感覚からすると『全員集合』といったらそれは取りも直さず『8時だヨ! 全員集合!!』のことだと諒解されたけれども、いまの若い人にそう云ってもてんで通用しない。更にはドリフターズ、と云っても、ああ平野耕太のマンガですか、などと真剣に云われる始末。だめだこりゃ。
 いまから十数年前、ナンシー関氏のコラムを読んでいたら「自分が当たり前と思っていたことがそうではなくなり、自分の世代が世の中のメインストリームではなくなったと感じた」みたような文があったのだが、いままさにそんな感覚を味わっている哀しいおっさんとは吾輩のことさ。次行ってみよう。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ほんと、頭が馬鹿の人ってすぐに極論を云うから面倒ですよね。



ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...