2019年5月22日水曜日

また自分語りをしちまったよ。病んでんのかな。

 こんにちは! こんにちは! こんにちは!

 閑話休題

 元気に挨拶をしてみたんである。元気ですかー。元気があればなんでもできる、って、赤いマフラーを巻いて知らない人の横っ面を叩くばかりの猪木しか知らない世代の皆さんはやっぱりちょっと可哀想だと思うな僕ぁ。しかしどうなのかねぇ、昨今のプロレスブームに乗ってプロレスを観出した人に全盛期の猪木の試合を観せたらどんな反応をするんだろうかね。想像するに、全く違うなにかに見えるだろうね。陰湿・陰惨な印象を受けるだろうねやっぱり。猪木とタイガー・ジェット・シンの試合なんてもう、この人たち一体なにをやってるんだろう、どうしてこんな殺し合いみたいなことをやってるんだろう……って思うんじゃないかな。それとも「これも結局はプロレスだから」という観点に基づいて笑いながら観るのかな。うーん、そう観られちゃうかもしれないなあ……。

 閑話休題

 こんにちは! と、打ち込んだ時には猪木の話をするつもりなど全然なかった。

 閑話休題

 そういうわけだから僕はこの数日間、筒井康隆大人著したところの『不良老人の文学論』を読んでいたのであった。筒井氏が物した(その多くは21世紀になってからのもの)、他の作家が書いた小説本の解説文や帯の推薦文や音楽CDのライナーノーツ、谷崎賞や山田風太郎賞の選評、さらには多様な雑誌・書籍に掲載された随筆などが一挙にまとめられている。どの文章もその話題とする幅の広いこと、凄まじいばかりの知識量から弾き出される論評の見事に、その意見の高等にああ面白い。ああ面白い。ほんと面白いまじ面白い。筒井氏が引き合いに出す本をみんな読みたい。各賞の選評において筒井氏が絶賛している小説をみんな読みたい。と、阿呆のように思いながらぐんぐんに読んだ。

 閑話休題

 餓鬼の時分、本を読む大人が周りにいなかったから読書の習慣が身につくまで時間がかかった。十代の頃は読むものといえば『マカロニほうれん荘』『ドカベン』などの漫画、或いは野球やプロレス、パソコンやコンピュータゲーム関連の雑誌・書籍くらいのもの。それらについては相応の分量を読んでいて、従って本屋に赴くこと、本を読むこと自体はけして嫌いではなかった。だが小説本の類は読むに至らなかった。

 閑話休題

 それでも長ずるに従い知識欲が高まってくると小説本に対する興味が次第に湧いてきた。すでに、面白い・これが好きだと自認した上で落語を聴きはじめていた高校三年生の頃、俄然、小説本を読んでみたいと思うようになった。読まねばならぬとすら思い始めていた。しかしそれについて善導してくれる人が周りにいない。学友には今更、小説を読みたいんだけとどうしたらいいかなあ、なんて話をするのも、それまでがそれまでだっただけに気恥ずかしい。

 閑話休題
 
 小説本に対する興味は日を追うごとに増してくる。本屋に行くたびに小説本の売り場をうろつく。だがどこから手をつけていいのかわからない。そんな中で目に留まったのが筒井大人の文庫本『農協月へ行く』。
 当時、小説本というのは皆、国語の教科書に載るようなものばかりだと思い込んでいたから、このタイトルは一体なんだ、ふざけまくっているじゃないか。と思って記憶に留まった。本屋に行くたびにこの本は一体なんなんだろうとその背表紙を見ながら思いを巡らせた。
 
 閑話休題

 平成の始まりから十ヶ月が過ぎた高校三年生の秋の夜、勇気を出して『農協月へ行く』を手に取り立ち読みをしてみる。しかしそれまでに小説本を読んだ経験がないから読み方がわからない。書かれている内容を日本語としては理解ができるものの、小説として理解・把握をすることができない。冒頭の数頁を読んでみたがなんの情景も頭に浮かんでこない。
 やはりダメだ。小説は難しい。そう思って落胆し、結局その日は結城昌治著『志ん生一代』上下巻を買って帰った。この本は古今亭志ん生の評伝で、だからノンフィクションだと思って面白く読んだのだが、今にして思えば"小説・古今亭志ん生"とでもいうべき内容だった。

 閑話休題

 十九歳になって働きはじめた。あまり真面目な働き手ではなかったから、昼休みに職場の近傍にある小さい本屋に赴くのが、息抜きの域を超えた楽しみになった。当時、都会の真ん中にもまだ当たり前のようにあった個人経営の本屋。雑誌の類を立ち読みするのが主たる目的だった。

 閑話休題

 その本屋にあった、けして大きくはない文庫本売り場の書棚。そこにずらりと並ぶ筒井康隆大人の文庫本。赤い背表紙の新潮文庫、薄黄色の背表紙の角川文庫、グレーががった茶色の背表紙の中公文庫、赤紫色の背表紙の文春文庫。いやでも目に飛び込んでくる。当時はまだ筒井大人の世代が小説界の先頭集団だったから、どの本屋の売り場にも大量に並んでいた。だが自分としては『農協月へ行く』の経験から小説本は自分にはハードルが高すぎると思って、読もうという気すら起こらなくなっていた。

 閑話休題

 そうこうしているうちに二年が過ぎて二十一歳になった。仕事はいつまで経ってもしくじってばかりで、剰え恋い焦がれた女の子は夜毎ビリヤードやダーツで遊んでいるような洒落乙な野郎に掠め取られてしまう。小供の時分にイメージしていた二十一歳とはかけ離れた暗澹たる日常。
 そんな鬱積を抱えながら過ごしていたある春の日の昼休み。いつもそうしているように例の小さな本屋に赴き、いつもだったらそうしなかっただろう、筒井康隆大人の文庫本をさしたる決然も無いまま手に取り購入した。よほど鬱積が溜まっていたんだろう。

 閑話休題

 入手したのは『笑うな』というショートショート集。『農協月へ行く』は以前読めなかったという恐怖が残っていたから敢えて避けた。
 退勤の電車の中で早速読み始める。なんてことだ。面白い。ページを手繰る手が止まらない。電車の中だということを忘れて読み耽る。家に帰っても読み続ける。寝る時間を削ってまで読み進め、到頭その日のうちに読み了えてしまった。なんたる面白さ。世の中にこんなに面白いものがあるのかとすら思った。

 閑話休題

 ショートショートは筒井大人の本道ではない。だが小説本を読んだことがなかった自分にはこれが全くもって塩梅がよかった。一つの話が短いからトントンと読み進めることができる。

 閑話休題

 そこからはもう字義の通りに読み漁った。字義の通りに読み捲った。字義の通りに読み耽った。通勤退勤の時間を中心に空いた時間のほぼ全てを費やして、一週間の間に二、三冊のペースで読んだ。筒井康隆なかりせば夜も日も明けぬ、とばかりに読み捲くった。本屋に行くたびに「まだ読んでいない筒井の本はないか」と餓鬼道に堕ちた人のようになって書棚を漁る日々が続いた。

 閑話休題

 小説本を読んでみたいという気持ちを抱いてから、また『農協月へ行く』を近所の本屋で手に取りながらも読み方がわからず落胆してから、数年間にわたって蓄積されていた小説本への思いが爆発したんだろう。そこから向こう二年ほど、二十三歳までの間に、当時書店に流通していた、優に百を超えていただろう筒井大人の小説本を粗方読んでしまった。
 筒井ファンの間で「七瀬三部作」として名高い『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』の三冊など、とある土日の二日間で読み了えてしまった(しかも一冊読み了えては近所の本屋に買いに行き、を二度繰り返した)。三年前まで小説の読み方からしてわからなかったというのに!

 閑話休題

 筒井康隆大人の小説本を熱狂して読んだことで自分のなかに読書の習慣ができた。ここを起点にしばらくの間、乱読に近い形で色々な小説家の小説本を読んだ。もちろん真に読書家たる人に比べれば大した量ではない。読むものも偏っている。剰え、小供の時分に形作られた習慣ではないから、ちょっと気が逸れると数ヶ月もの間、一切本を読まなくても平気になってしまう。それでも小説本を読む楽しさを知ることができた。筒井康隆大人の小説に出会っていなければ、きっと小説本に親しむことが無いままに齢を重ねていたことだろう。そう考えるとちょっと恐ろしくなってくる。

 閑話休題

 それにしても筒井康隆大人の小説本を読み捲った三年間は今思い返してもどうかしていたとしか思えない。あれだけ熱狂して本を読み続けたのは後にも先にもあの時期しかない。一体、なんだったのだろうと今でも不思議に思う。

 閑話休題

 って、だからこんな感じで自分語りをするつもりなんかなかったのになんでこんなことを書いてるんだ俺はぁぁぁぁぁぁぁぁっ。

 閑話休題

 今般読んだ『不良老人の文学論』で、表現の自由について触れている随筆があるのだが、そこに、

「表現が一部の人の特権であった時代は昔のことであり、今や誰でもネットで自分の考えを述べることができる世界なのである。それらを許容できるかどうかは読む人の知識、教養、知性にかかっている」

 とあって、全くその通りと、首の骨がどうかなるくらいに激しく首肯した。情報のフィルタリングを自分でちゃんとやらないと、ネット見てても腹立たしくなったりするばかりだよね。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ようやく再び投打がかみ合い出したよペイスターズ。今永に加えて濱口がポテンシャル通りの投球をしたら途端にチーム全体に流れというかこうすれば勝てる、みたいなムードが出来上がってきた感じだね。加えて東も今日で二連勝。これでうまく先発三本柱で勝ちを計算できるようになればチームが安定してくるだろうね。やっぱり野球はまず投手だよな。







ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...