2019年2月18日月曜日

同じ川に二度入るのだぜ

 過日、初めて降り立った都内を走る地下鉄の某駅、その出入り口からほど近いところを、目的の場所を探しながら歩いていたところ、突如としておっさんの怒声が聞こえてきた。すわ何事、と思って声のする方に目をやると、ごま塩頭の初老と見える勤め人の人が、その部下と思しき、三十歳そこそこと見えるやはり勤め人の男児に怒声を浴びせている。
 怒声に至るまでの経緯はわからなかったが「遅刻をしてきて云々」と聞こえてきたから、若人が遅刻をしたのだろう。そら遅刻をする方がどう考えたって悪いのだけれど、それにしたって天下の往来でもって、私を含めた周囲の市民が何事と一斉に注目をするほどの怒声を浴びせかけるのはやはり間違っている。
 怒鳴られた若人は「人がいるところでそんなに怒鳴らなくてもいいじゃないですか」と通常の声量で不服そうに云っている。しかし初老のごま塩頭の方はその若人の言葉にさらに激昂して「そんな態度なら帰れ」とまた怒鳴っている。
 それを聞いた私は、うわあ。面と向かって若い奴に「嫌なら帰れ」って云う、そんなステレオタイプなおっさんって実在するんだ。と思って少しく面白くなってしまった。そうしてまた、あのごま塩頭のおじさん、基本的に部下の皆さんから信奉されてないだろうなぁ。とも思った。
 年恰好から判断してたぶんあのおっさんはバブル期かその少し前に社会人になったと想像するけど、いま思い返してもあの頃の日本は何かが大きく狂っていたから、その時代状況の中で社会人としての礎を築いた連中というのは、基本的にどこか狂っているのが多いんだろうと思った。かてて加えて歳を取り、自分よりも若い人を動かすようになると、とかく心地が良くなって、その力を無限のものと思いがちだからね。歳をとればとるほどメタ認知を意識せんければならんと思うね。

 閑話休題

 自分が年端もいかない小供だったというのを割り引いても、ファミレスが世の中に登場してきた頃というのは、いまとは異なり店内の雰囲気がとても落ち着いていたように記憶している。ウェイトレスもウェイターも、高級とまではいかないものの、それなりのレストランのそれを思わせる雰囲気で振舞っていた。客にしてもそうで、落ち着いて食事を楽しんでいたような気がする。そこにゆったりとした贅沢な時間が流れていたような気がする。
 記憶は美化されるものだし、まして幼児の頃の記憶だから色々と間違ってはいるのだろうけど、それを割り引いたとしても、静謐につながる雰囲気は確かにあったと思う。レストランが提供するべきサーヴィス、その最低ラインからは絶対に下がらないという矜持があったように思う。一九七〇年代末頃の話。
 爾来四十年、時を経るに連れて外食産業の敷居は低くなり、同時に店内の雰囲気は雑然を通り越していまや騒然たるものとなった。それが時代の必然だし、そこそこの料理を安価に頂けるのだから別段文句はないのだが、そろそろ昔の良いところを取り戻す時期に来ているように思う。しっかりとした人間を雇いしっかりとした教育を施ししっかりとした給金を払う。無論、そのぶんが料理の価格に反映されてしまうだろうが、それをしないことには、昨今またぞろ増えてきた間抜けなバイトの間抜けな炎上動画はなくならないように思う。まあ時代は店側が、不埒な動画をアップしたバイトを訴訟する方に向かっていくんだろうけど。
 世界で一番高いのは人件費、って言葉、私が餓鬼の時分には随分聞かれたものだけど、最近はすっかり聞かなくなったものね。高いには高いなりの理由とメリットがあるわけだよな。

 閑話休題

 まあ最終的にはファミレスとか開店寿司とかコンビニなんて全部が自動販売あるいはロボットになっちゃうんだろうけどね。

 閑話休題

 たといば昨今、小田急線の売店がどんどん、オダキューSHOPからセブンイレブンに入れ替わっているわけだけれども、そうした、見慣れた風景が失われていくことに寂しさを感じるのは大人だけなのであって、そうさな、二十五歳くらいまでの若人にとってはなんらの感慨も与えないんだろうと思う。事実、自分も若い時分はそうだったしね。変わっていくことをなるべく受け容れて行きたいものでござんす。世の中の変遷を楽しみたいものでござんすね。

 閑話休題

 そんならインターネットの変遷も楽しめっつうんだよな俺。SNSがいやとか云ってないで受け容れろっつうんだよな俺。つーか要はあれなんだ、自分がそこに入っていけない状況ができたことに対して、批判という形で文句を云うんだろうね、人ってのは。スマホを弄っている若者に苦言を呈するご老人だって、要は自分がスマホを扱えないためにそこに入っていけないから怒っているだけで、スマホを使いこなしているご老人は別段、スマホを弄る若者を悪く云ったりしないものね。人間ってつまりはそういうことだよね。だって俺らなんて餓鬼の時分、テレビ観てるだけでそんなものばかり観てるな、って怒られたのだぜ。その頃の大人がいま老人になって朝から晩までテレビを見て、スマホを弄る若者を批判してるのだぜ。

 閑話休題

 かの二宮金次郎とて若くて無名だった時分には、本を読むなんてそんな非生産的なことばかりして、って批判されていたというから、まあ、人なんて誰かを批判しないと生きていけないものなのかもしれませんやね。ピース。

 閑話休題

 伝聞だけれども、池江璃花子選手のツイッターアカウントに、白血病に良いとされる民間療法を紹介するリプライを送りつけるような馬鹿がそれなりにいるということで、うーん、かける言葉もありませんや。そんなことをする奴らに対してかける言葉を無理に絞り出すとすれば、ばーか。ぐらいしかないや。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。しかしあれかねぇ『いだてん』の視聴率が早くも一桁に陥落、ってなニュースがネット上を中心に駆け巡っているけれども、いまの日本のドラマの視聴者ってこのくらいのテンポで簡単に振り落とされちゃうのか知らん。そんなにまで嚙んで含めるような展開じゃないとダメなのかな。すごく面白いのになあ。あ、あとさ『いだてん』の話とはちょっと違うけど、最近ドラマや映画を観る人って、伏線伏線云いすぎだよな。伏線回収したとかしてねぇとか、ほんとうるさすぎるよ。

ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...