2018年11月18日日曜日

体は硬いが頭も固い

 歳をとって何がいけないって体力がなくなるのが何よりいけない。体力がないから気力が続かなくなる。気力がなくなるからいろんなことがどうでもよくなる。若い時分であればいちいち癇に障っていたようなことも、まあいいじゃない。なんつって安易に流してしまうから何も頭に残らない。何も頭に残らないからじねん、ものをどんどん考えなくなる。そうしてどんどん頭を使わなくなる。自分にとって必要なことだけを考えるようになる。面白いことというのは得てして自分とは関係のないところから出てくるから、畢竟、面白いことが浮かばなくなってくる。けれども面白いことを浮かべて生きてきたこれまでがあるから、頑張って面白いことを思い浮かべようとする。しかしその時にはもう頭は働いていない。そこに無理が生ずる。無理をして思い浮かべたり考えたしたことは往往にしてつまらない。つまらないから考えるのを止してしまう。気がつくと今日の昼飯は何を食べようとかそんなことばかりを考えているようになる。こうして人はだんだんつまらなくなっていくんだろう。全ては体力の問題だ。

 閑話休題

 しかしそういう体力を失ったダメなおっさんが、一生懸命に無理をして面白いことを考えたり作ったりしているということろに、こんだ違った面白みが出でくるから面白いということはまことにもって厄介且つ面妖だ。

 閑話休題

 そうして無理な感じで作っていた次の作品もどうにか来月には公開できそうだ。死ぬまでに一度は連続ものを完結させるという経験をしてみたいのでね。

 閑話休題

 一昨年までは年に一度くらい、決まって拙作『十億アクセスの彼方に』のアクセス数がトーンと跳ね上がる時期があったのだけれど、去年今年とそれがない。十四年も前に作った作品だからここまでたくさんの人に見てもらえただけでもう充分なんだけど、うーん、ネットリテラシーの基底が数年前とは何か変わったのかも知らんなあ、という気もしている。プライバシーの一部を公開することが人々の生活の中に完全に組み込まれたような気がする。またそのプライバシーを上手に切り売りすることを生業としている人も既にたくさんいるわけでね。

 閑話休題

 結局自分なぞはインターネットを特別なものと思いすぎている。だから今の状況についていけなくなっている。若い連中はインターネットなんて我々のテレビ以上に当たり前のものとして付き合っているのだから全然敵わない。自分なぞは八〇年代中頃、初めてパソコンを手に入れたあの日の感激、その延長線上にインターネットがあるからどうにもならない。何れにせよあの頃から二〇〇〇年代の中頃までの、新しいメディアというか時代が出来上がっていく時間、生活の一部にコンピュータやインターネットが入り込んでゆくまでの時間はあまりにも楽しすぎた。ITなんて言葉すらないような頃、時代そのものが若くて未熟だったし、同じように自分も若かった。面白い時代に長く居過ぎたよ。

 閑話休題

 どうだ。いいおっさんがここまでネガティヴだと読んでて嫌になるだろう。参ったか。参ったって云え。云わないとこっちが参っちゃうぞ。まいっちんぐ。

 閑話休題

 如此くおっさんというのは、中年というのはネガティヴになりやすいんである。だからこそせめて世の中での振る舞いは機嫌よくしていなくてはならんと思う。おっさんがネガティヴで不愉快にしているというのは、その人が存する環境にとって、まことにもって迷惑千万。中年こそ頑張って上機嫌でいなくてはならんと僕は思う。楽しそうに振舞っていなくてはならんと思う。

 閑話休題

 あのー、路線バスなんかに乗っていると、中学生の部活の集団に嬉しそうに話しかけるお年寄り、という図を頻繁に目撃するのだけれども、あれなんで話しかけるんだろうね。中学生が年寄りと話したがってるわけないのにねぇ。ああいう年寄りには絶対にならんと改めて思った。

 閑話休題

 東京は町田市にまで足を運び、久方ぶりに立川志らく師の独演会を聴きに行ったのだった。『親子酒』と『芝浜』の二席を存分に聴かせてもらい大いに愉しんだのだった。『親子酒』の方は師が若い頃から積み上げてきた現代的なギャグがふんだんに詰まった”志らく落語”のそれで大いに笑った。改めて現在の落語、そのギャグの部分を切り拓いたのは師の落語だったと思った。『芝浜』の方は談志家元のそれを不図思い起こさせるような立川流正調とも云いたくなるようなものであった。そう云えば志らく師は家元が亡くなった後「自分の体を借りて師匠が何か云えばいい」みたいなことを云っていたっけ、と思ったりもした。それはまあ家元の『芝浜』は最終的に古典落語の域を遥かに超えてしまう物凄い作品になっていた。しかしあと十年くらいしたら志らく師の『芝浜』も、家元のそれとは全く違う形で古典落語の域を超えるものになるのじゃないかと思った。

 閑話休題

 その独演会で私の座った席のすぐ前に、お一人でいらしたらしい、総白髪のお婆さんが座られていた。後ろからだからお顔は拝見できなかったのだが、頭や体の動く様子から、大変に笑いの感度の高い方のようで、志らく師の時事ネタを含んだひどく現代的なギャグに的確な反応で笑っていて、嗚呼、自分もこういう年寄りになりたいと思った。

 閑話休題

 しかしこうして志らく師世代の落語家を見るたびに感じるのだけれど、八十年代から九十年代初めにかけてというのは、若者の視界に落語が入る時代ではなかったように思う。世の中を席巻した漫才ブームの影響がひどく強かった頃で(というか強かったどころじゃない。あの頃できた笑いが今の笑いのベースになっている)、漫才を中心とした「お笑い」は世の中の中心にあったが、落語はその隅に追いやられていたように思う。そういう時代状況にも関わらず、昇太志の輔談春志らくたい平喬太郎彦いち白酒白鳥三三などといった現在の落語界を支える人材が続々入門してきた(落語家は辞めてしまったが伊集院光氏もそうだ)というのは、一体どういう塩梅なんだろうと、いつも不思議に思うんである。やはりこうした人たちというのは、あの時代に落語家を選択するという時点で端からセンスが違ったんだろうなと思う。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。はは。BGMで流しっぱなしにしていたグーグルプレイミュージックがクレージーキャッツの『実年行進曲』を再生し始めたよ。がーんがん いこーぜ まーだこーれーかーらーさー。




ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...