2018年11月12日月曜日

襤褸は着てても心の高等遊民

 お元気ですか。僕はそこそこ元気ですが根本的に元気ではありません。無理をしています。嘘です。僕が無理をしているとすればそれは生きることそのものについて無理をしていると云えましょう。「言」という文字が僕は嫌いだ。ゲジゲジみたいでなんか嫌だ。上から二番目の横棒がちょっと長いのもこの文字を考えた奴の「意匠に凝ってみました」みたいな感じがしてなんかむかつく。たった一文字がところ使うだけでゲシュタルト崩壊を起こすような気がする。だから成る可く「云」という文字を使うことにしている。人はそれをこだわりと呼ぶのだろうがいやいや、こんなものはこだわりでもなんでもない。生理的に無理。という、若い女性がキモいメンズを一刀両断する時の便利な言葉と同じことで生理的に無理。まじキモい。しかし僕とて現代に生きる人間だから「言」と言う文字が世の中で平気に使われていることに対しては生理的に無理な感じは何らない。全然平気。書籍でもネット記事でも、たとい「言」が使われていても平気にガンガンに読む。だからなんだと言われるとやはり困る。困る。って、うわあああああああああっ。「言」を使ってしまった。もう生理的に無理。無理。生理が無理。生理も無理。生理だから今日は無理と云われ残念に思った若かったあの日。生理生理と繰り返し書くうちに精神がゲシュタルト崩壊を起こす。言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言。起こした。ゲシュタルト崩壊を起こした。俺を殺すにゃ刃物は要らぬ「言」を並べりゃそれでいい。なーんてなことを思っているうちに今日も日が暮れていく。なにもしないままに一日が暮れていく。「言」「云」のことばかり思って日が暮れる。秋の日は釣瓶落とし。秋の日は岩石落とし。釣瓶取られて貰い水。お水をください。僕にお水をください。この文章のゴールと同じくらい今の僕にはお水が必要なのです。お水。お水と云ってもそれは水原弘ではありません。はー。くっさめ。精神がゲシュタルト崩壊したからもう何も考えられない。生理的に無理。

 閑話休題

 相変わらずRPGツクールをいじっている。シナリオの打ち込みは終わったがBGMの付け方、タイミングでどうしたものかと困っている。なにしろゲームを作るツールで舞台劇みたいなのを拵えているからどうも収まりが悪い。まあ何とかなるだろうけど。まあのんびりやろう。皆さんものんびり生きてよ。

 閑話休題

 彼の国の人々のみならず我が国の人々の中にも、一度こちらが謝るとそれに味を占めて同じ事柄についていつまでも謝れと云い募る、乃至は他の件についても譲ることを要求してくる人というのはやはりあって、そういう手合いとは成る可く付き合わないのがいいと思うのだが、残念なことにそういう手合いというのは、物心両面に関わらずこいつぁたかれる相手だ、と思うと際限なくたかろうとして寄ってくるからまじ迷惑ですね。付き合うのやめちゃえばいいんだけど浮世の義理というのがあってなかなかそうもいかない。

 閑話休題

 しかしあの侍ジャパンっていうのはなんとかならんのかね。MLBのオールスターの方がどう見たって格好いいじゃん自由な感じ、エンターテインメントの感じがして。オリンピックに向けて印象を強くしたいんだろうけど、どう考えてもNPBオールスターで対戦した方が断然格好いいよ。侍ジャパンってアマチュアリズムの感じが色濃く横溢してして観ていて全然面白くない。というかMLBのオールスターを呼んで侍ジャパンで対戦してるなんて観ていて恥ずかしくなる。
 プロこそ遊びの要素、エンターテインメントの要素、芸の要素がなくっちゃあ全然つまらない。それがなかったらプロとしての存在価値がないとすら思うよ。

 閑話休題

 だいたい今の日本人の大半は野球なんか相手にしてないだろうよ。

 閑話休題

 あとあれ、日米野球になると決まってグラウンドレベルに近い良席にダークなスーツを着込んだ人たち、如何にも何某かの関係性から良席に座っている人たちが陣取るのも凄く嫌だ。実際に日米野球を観に行くと方々で名刺交換をしている姿が見られて凄く嫌だ。観客席が野球のことが好きな人で満たされないのが凄く嫌だ。

 閑話休題

 そういやアジアシリーズってやめちゃったのかね。台湾あたり、いっそNPBのリーグ戦に入れちゃえばいいのにね。ずーっと最下位でも入れてるうちに強くなるよきっと。橋渡しをするには最適な王選手が元気なうちになんとかしないかね。

 閑話休題

 観るのはもう四度目くらいになるのだが嘗ての名作テレビドラマ『<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%8B%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%8A%E5%89%8D%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84" target="_blank">淋しいのはお前だけじゃない</a>』を全話観た。素晴らしいドラマに共通する要素だが、何度観ても初めて観たときと同じように感情が揺すぶられる。そうして観るたびに新しい発見がある。
 このドラマ、数ある西田敏行主演のものの中では最高と思う。この時の西田敏行氏が僕は一番好きだ。森繁的な変幻自在が存分に楽しめる。そうしてまた、西田敏行氏の妻を演じる泉ピン子氏にまで泣かされるのだからもう困ってしまう。
 それはまあ今の目で見れば物語の展開に、強引に過ぎるところ、完全に解決した感じがしないところなど感じられるのだが、それははっきり云って些細なこと。それよりもこのドラマを範として三谷幸喜氏やクドカン氏がその上に積み重ねることで今のテレビドラマが形作られてきた、ぐらいな、現代のテレビドラマの礎となるような名作であり、ここからテレビドラマの新たな歴史が始まった、ぐらいの大袈裟を云いたくなるほどの素晴らしいドラマ。機会があったらぜひ観るといいと僕は思う。

 閑話休題

 しかしあれだねぇ、随分前に芸能界を引退した橋本奈々未なんて、今頃は一般人として普通に誰かと付き合ったりしてるんだろうねぇ。これだけアイドルが増えてくると、彼女のように自らの意思で芸能界を引退してゆく女性も増えてゆくわけで、そうした人たちのその後の人生を思うとどうにも変な心持ちになる。これが昔の売れないアイドルみたいに夢破れて芸能界を去って行くのであれば、その後、一般人として生活して行くことになんらの違和感も覚えないのだけど、まだまだ芸能人として活躍する余地があるのに自らの意思で辞め、一般人の中に入って生活していることにすごく違和感を覚える。普通に生活していて周囲から浮いちゃわないのかな、と思う。
 まあそんな風に考えるのも、僕が芸能界を特別な世界、堅気・世方が住まう世界とは一線を画した場所であると認識しているからなんだろう。売れているのに自らの意思で辞めて一般人として生きていくアイドルというのは、芸能界をそれほど特別な世界だと思っていないんだろう。又、観る側にしてもいまの若い人などは芸能人もTikTokの人気者も同じようなものだと思って見ているんだろう。

 閑話休題

 そういう感じで辞めていった一番最初はやっぱりおニャン子の<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E7%BE%8E%E6%98%A5" target="_blank">なかじ</a>になるのかな。『じゃあね』っていい曲だと思うよ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。いや僕はむしろAIに支配されたいね。

ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...