2018年10月29日月曜日

ビハインド・ザ・ビート

 まあなんていうかあれですよ、どんなジャンルに於いても、ハロウィンの晩に渋谷の街頭に集まり軽トラをひっくり返して喜んでいるような連中が分け入り、はしゃぎ始めた瞬間に、そのジャンルというかムーヴメントはあっという間につまらなくなるね。あの種類の人間どもの跋扈は、そのジャンル、ムーヴメントのほんとうに面白い時期が終焉を迎えたことの象徴。

 閑話休題

 たといば気温気候のみから判断すれば冬本番というのは、私が住まう関東圏に於いていえば、十二月の末ごろから二月いっぱいと云ったところになりましょうが、太陽のムーヴからすると冬至と云って一番日が短くなるのは十二月の二十三日前後で、これ以降は日に日に日が長くなってゆく。気候からすれば冬はこれから本番を迎えるというのに、太陽のムーヴは既に冬の終焉に向かって動き始めている。これは夏に於いても同様で夏本番といえば七月以降ということになろうけれども、やはり太陽のムーヴから見ればそのピークである夏至は六月二十日前後。夏もこれからピークを迎えるというのに太陽のムーヴはもはや冬に向けて動き始めている。
 僕はここに物事の盛衰・流行の実際・本質というものがあると思っている。ある流行が人々の目にピークと映る時、その時にはもう退潮が始まっているのだと僕は思う。その流行となった事象が一番面白いのは冬至や夏至に相当する時期、つまりは多くの人々がこれは面白いと完全には気づかない時期にあるのだと僕は思う。だから流行に乗っている人、話題となり既に大勢の人が集まっているようなところへやって来る人というのは、基本的に遅れている人、感性が少しく鈍い人なのだと僕は思っている。
 いま渋谷に集まりハロウィンを楽しむパリピの人々というのはみんな感性が鈍く本質的には遅れている人なのだと思っている。そうして大概、遅れてくる連中のというのは一番でかい顔をして騒ぎ立てる。

 閑話休題

 ははは。最初に投稿した際、冬至を十一月と書いていて間抜けでした。さっき読み直して気が付いて十二月に直しましたよ。粗忽粗忽。

 閑話休題

 小林信彦大人が著した植木等氏の評伝の中にあったものと記憶するが「大衆は一拍遅れてやってくるが、見放す時は実に冷たい」という一文、それを読んで以来、そうなのかなあと思って世の中の流行や盛衰を眺めてきたが、全くもってその通り、というのが今のところの実感。

 閑話休題

 しかしどうだろうか、いま渋谷の街頭に集まり乱痴気騒ぎをしている行き過ぎた感じでハロウィンを楽しむパリピの皆さんと、かつて学生運動と称して安田講堂に立てこもり、ゲバ棒片手に神田駿河台にバリケードを築いたりして革命を気取って楽しんでいたかつての若者の皆さんたちとは、本質的に異なるものなんだろうか。祝祭というか非日常の空気に酔っているという点では変わりがないようにも見える。正義という錦の御旗がある分だけかつての若者たちの方がタチが悪いような気もする。あー、でもハロウィンのパリピ種も、ハロウィンだからマスコミがそう報じているからみんなやってるから、という錦の御旗を掲げているのか。

 閑話休題

 まあ比較するもんでもないか。いずれにせよ、どっちも一般ピーポーにとっては迷惑極まりない連中だ。

 閑話休題

 しかし当節の年寄りには碌なのがいない。
 過日、僕は近傍にある安物の回転寿しの店にランチをしに行った。開店早々の時刻だったから客はまばら。楽しいぼっち飯を後半生のテーマに掲げている僕は当然一人きり、お店の人に案内されるままカウンター席に着席した。まずは景気付け、タッチパネルでふた皿の寿しを発注し、箸を取ったり冷水を汲みにゆくなどして寿しを喰う態勢を整えた。待つこと数分、ピーピーとビープ音が鳴り、僕の頼んだ寿しがベルトコンベアーに乗ってやってくることが知れた。
 私の右手方向その遥か先に、私の注文した間八といくらの軍艦巻きがレーンに乗りその姿を表すのが見えた。待望してそれを眺めていたらどうだ、僕の三つ空けた右隣に座っていた老夫婦の夫の方が、僕の発注した寿しを平気で取り上げているではないか。奥方の方は夫の誤りに気付いたようで何事か声を掛けていたが夫の方は知らぬ存ぜぬを決め込み平気で食ってしまう。
 僕は覚えず「人の寿司食ってんじゃねぇよ」とひとりごちるように、それでいて聞えよがしと取れる声量で呟いたのだが老夫婦はあからさまに聞こえぬふりをする。仕方がないので僕はタッチパネルでお店の人を呼び出し「あそこの方が僕の注文した寿しを間違った取ってしまったようなので、間八といくらの軍艦をお願いします」と申し伝えた。老夫婦は相変わらず知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。その様子はあからさまな軽犯罪を黙秘する駄目人間のそれ。
 無駄に歳ばかり食いやがってこのくそったれが。という苛立ちを抑えつつ僕は、店員が手持ちですぐさま運んできたふた皿の寿司を受け取りうまうまと食した。ひたすらに恐縮し幾たびも頭を下げるお店の人に、あなたの責任ではないから恐縮しなくて良い、という意味のことを満面の笑顔で云い、その後、気を取り直し平気な顔をして幾皿かの寿司を食い、金を払って店を後にしたのだった。老夫婦は最後まで私の方を見ようとはせず、どころか私に気付いていないふりを懸命に続けるという馬鹿丸出しの感じでカウンターに張り付いていた。しかし当節の年寄りには碌なのがいない。

 閑話休題

 やはりこれも連中、団塊の世代とかなんとかいって、人間の数が無闇に多いからこういう碌でもない年寄りが多くなるんだろう。比率の問題なんだろう。
 しかしそうして考えると、団塊の世代に次いで無闇に人数が多い団塊ジュニアと呼ばれる我々にも多分碌でもないのが多いんだろう。願わくば僕自身がその碌でもない連中の中に入っていないといいんだけど。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。まあ早ければ再来年にはベイスターズ三浦大輔監督の誕生ですよ。オバQが代理監督をやったのを覗くと、生え抜きが監督になるのは2004年までの山下大ちゃん以来になるのかな。この間に大魔神も谷繁も石井琢朗も、我がチームの監督・コーチになっていない事実が、いかにゼロ年代の球団運営がひどかったかの証左のひとつ。

ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...