2018年7月22日日曜日

素晴らしき日曜日

 お暑うございます。

 閑話休題

 マサ斎藤のことを思うたびに感ずるのは、他のレスラーから大変なリスペクトを受けていたのだろうなあ、ということで、私も嘗ては重症のプロレスファンだったから相当数のインタビュー記事を読んできたが、マサ斎藤のことを悪く云っているレスラーというのはちょっと記憶にない。キャリアの全盛期に主戦場アメリカに置いていたから、私のようなファンからすると正直なところ、リング上での印象となると最高級の脇役というところに落ち着く。狼軍団ではヒロ・マツダのパートナー、維新軍団・ジャパンプロレスでは長州力以下が最敬礼でリスペクトする象徴的な存在、80年代後半に力が落ちてきた猪木が重用した対戦相手、という、常にサポートの立場にあったとの印象になる。然し乍ら、どこにいてもアンタッチャブルな領域にいるという印象を受けた。マサ斎藤にしか出来ない役割を任されているという印象があった。87年の年末だったか、両国国技館での猪木&ディック・マードック対マサ斎藤&藤原喜明のタッグマッチは、プロのレスリングの面白さが詰まっていて実に見事だったといま思い返しても陶然とする。

 閑話休題

 あとマサ斎藤といえば90年代の前半からはテレビ中継の解説者となったのだが、これがとんでもなく面白かった。覆面レスラーの正体は平気で言うわ、アメリカのレスラーをヤンキー呼ばわりするわ、同席した当時現役レスラーだった馳浩を平気で叱責するわ。それでいてプロレスの奥深さも一言で言い表す凄さもあって、いや本当に面白かった。
 本当にみんないなくなっていくなあ。ひねりを加えたバックドロップ。一度決まったらどちらかが死ぬまで外れない監獄固め。ルーチャですか? ゴー・フォー・ブロック。

 閑話休題

 話はマジ変わりますが、この数日、テレビの天気予報などを閲しておりますと、このところ予報士の方がさかんに「熱中症の危険がありますので、昼間の時間帯は原則運動禁止です」てなことを繰り返し述べておりますが、その数分後には別のニュースを読むキャスターが「熱戦続く高校野球の予選」みたいなことを述べていて、嗚呼、こんなことをやっているうちは、少年野球の人口は減る一方だろうなあ、と思いますです。
 加えて昨今のプロ野球は、客入りだけを見ればライヴ人気が高まったとも云えるけれども、そこに漂う空気は「観るもの」としてしか捉えられてないように感ずるよ。プロのプレーを観た少年が、それに憧れて僕も私も野球をやってみよう、となるような空気感は微塵もない。ライヴ感覚で応援歌を歌って勝敗結果のみに一喜一憂するのみ、という感じがするよ。野球の将来を鑑みると相当まずい状況だと思うけどね。街中や公園・広場でキャッチボールをしている友達や親子なんてまるで見かけなくなった。いまの三十代になると最早野球よりもサッカーを見てきた人の方が多いだろうから、親がとにかく野球が好きで、という家庭もいまでは少ないだろうし。

 閑話休題

 私らの親の世代、いまの後期高齢者の年代の皆さんを眺めていると、自分が取扱えぬテクノロジーをテッテ的に忌避するのに比例して、自分が取り扱えるテクノロジーについてはテッテ的に使い倒すように見受けられます。スマホやインターネットは気味わるがって使わぬのに、テレビや電子レンジは狂ったように使い倒します。
 エアコンにしても同様で、一旦使うとなると、やたらと温度設定を低くして、体が冷えきるような状態にして使います。そうして「エアコンは体が冷えるから嫌い」などと嘯いてはエアコンを忌避して暑い部屋で我慢大会のようなことをしています。
 テクノロジーに対して適度に距離を置いてほどよく使う、ということがどうも出来ないようです。エアコンの温度設定を、暑さを感じない程度にする、または窓を少し開けて使う、ということがどうも出来ないようです。あの世代の人々にとってそれは取りも直さず「無駄」ということになるようです。テッテ的に冷たくしないのならばエアコンを使うのは無駄、という理屈のようです。
 そうしているうちにエアコン=過度に冷える=体が冷えて調子が悪くなる=だから使わない、みたいな論法が成立しているようです。自分で自分を洗脳してしまっているのでしょう。
 まあもちろん、あの世代が若かりし頃のエアコンというのは無闇に冷やすものだったというのも事実なんですが、まずはそのイメージ・記憶を取り除かぬことにはいかんと思いますです。

 閑話休題

 話は本当に変わりますが、たといばこうして日曜日の朝っぱらからブログなるものを書いている自分のことを思うに、二十代の初め頃、週末となると夜っぴてパソコン通信にのめり込んでいた頃と何も変わらぬと思ってまじ情けなくなります。しかし若い頃と比べると、人生についてだいぶんどうでも良くなり始めているので、そんなに悶々としなくて済みますから今の方が断然気は楽です。思えば若い頃は金曜の夜ぐらいから週末の間、ずっと悶々としていたものね。
 さらに当時はまだ世の中にバブルの残り香が大いに漂っていたから、週末の夜にうかうか街に出れば浮かれ気分なカップルばかりでまじ癪に触る、きぃ。なんて思って街を歩くから余計にカップルに目がいくという負のスパイラルに陥っていたし。
 果たしてもっと歳をとればもっと楽になるんだろうか。それとも持たざる人間として人生が終わってゆく事実に愕然とする気持ちの方が強くなるのか。明日は、どっちだ。

 閑話休題

 でもあれだ。じゃあ彼女が出来て晴れてカップルになったらその悶々とした感覚が消えたのかというと、確かに消えたのは消えたんだけど、あの頃の悶々とした感覚とは繋がりがないような気がするんだよなあ。違う何かで上書きされたようなそんな感じ。裏を返せば、あの悶々とした感じというのは、いまでも心の何処かに蟠っているんだろう。それが一番必要とされた時に、それを持つことが出来なかったというのはきっと一生蟠ったままで残るんだろう。

 閑話休題

 あれは誰だったかなあ、映画監督かなんかが苦労の末に何かの賞を取った時に、その受賞スピーチで「(観客や評論家に対して)私が一番あなた方を必要としていた時、あなた方は一体どこにいたんですか?」と云った、というのをどこかで読んだような気がするんだけど誰がどの場面で云ったのか思い出せないし調べても出てこない。

 閑話休題

 まじで話は突然変わるが、ユーチューバーの何が困るって、あの人たち、ずーっとこっち見てくるでしょう。あれが困る。一対一、みたいな空気感出してくるでしょう。あれが耐えられん。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。常田富士男氏も亡くなっちゃったけど、そらあ『日本昔ばなし』の声も素晴らしかったけど『カリキュラマシーン』や『ゲバゲバ90分』で見せたコメディアンぶりも実に見事でした。機会があったら探してご覧になられるといいと思いますよ。




ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...