2018年7月13日金曜日

人を呪わば穴二つ

 文芸家たらんとする中学生は、須らく数学を学ぶ事勤勉なるべし。然らずんばその頭脳常に理路を辿る事迂にして、到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ。

 閑話休題

 ということをかの芥川龍之介大人は仰っておるのですが、流石だなあ、なるほどそうだよなあ。作劇というのは論理以外の何物でもないよなあ、足し算引き算以外の何物でもないよなあ、と思いますです。
 しつこいようで恐縮ですが『半分、青い』のあらゆる面での論理破綻を見ているとそんな気にさせられます。ご都合主義で人を出し入れするというのは本当にダメですね。行動にはやはり理由と理屈がないとダメですね。メインキャストの性格が破綻しているのも本当にダメですね。主人公の成長が何もないのもダメですね。発言もめちゃくちゃだし。登場人物だって物語世界の中で実際に生きている人間だということが全然表現できていなくてダメですね。他人を揶揄する酷い言葉を早いテンポで云えばコメディ場面になると思っているところもダメですね。
 然し乍ら、まるで作劇の”べからず集”を見ているようで逆に勉強になります。

 閑話休題

 そうは云っても同作品に出ている滝藤賢一氏や斎藤工氏や嶋田久作氏やキムラ緑子氏など手練れの皆さんが出ている場面では、その演技に見るべき部分が沢山あって、成る程、巧い役者さんというのは凄いものだなあ、と思わされます。逆に云えば、主人公が経験を積んだ女優さんであったなればもう少し観られる内容になっていたかもしれません。然し乍ら、現時点では実力よりも将来性の方が優っている永野芽郁ちゃんにはちょっときついですよね。ましてこの内容で五十代まで演じさせるのは可哀想以外の何物でもないよね。

 閑話休題

 考えてみれば、九十年代を席巻したトレンディ・ドラマというのは内容よりもキャスティングが重要視されていたと聞きます(キャストが決まってから内容が検討されると聞いたことがあります)。してみると、ほぼそのジャンルのみで一家を成した今作品の脚本家さんが作りそうなドラマ、という気も致します。なにがミートゥだ。
 そらあリアリティ皆無みたいな浮ついたセリフでも、美男美女を極めたような見目麗しさ、更に相応の技術を持った役者さんが演じれば、それは脚本のポテンシャルを大きく超えて成立しますものね。それがトレンディ・ドラマだったということなんでしょう。

 閑話休題

 そういや先頃も同番組の中で「出た! アラビア語に聞こえる岐阜弁!」というナレーションが入ったから、私ァてっきり作品の中で度々使われてきたルーティーンのギャグなのかと思ったら、アラビア語云々というのは初めて出たフレーズなんだそうで、いやはやびっくらこきましたよ。
 まず岐阜弁がアラビア語に似てる、というイメージが世の中に浸透していませんし、またそうした方言を「アラビア語に似ている」というギャグとして使うための仕込みもしていないというのですからまじ驚きです。いやはや、勉強になるわあ。

 閑話休題
 
 いやいや、どうもすみませんでした。もう『半分、青い』については書きませんので平にご容赦を。何かに対する罵倒なんて、書いている・云っている当人は面白くっても、読む方・聞く方は、不愉快になるばかりで、てんで面白くありませんものね。重ねてどうもすみませんでした。でもあれですよ、御用とお急ぎでなければ、いちど、ご覧になられるといいと思いますよ。理論の欠落したドラマの進行というのはなんと歯がゆいものか、と思うこと請け合いですから。こないだのあれどうなったんだよ! 自分が働く店に客として来た弟を忙しいからってすぐにレジ打ちなんかやらせる阿呆がいるかよここは無法地帯か! みたいな苛立ちを、ネ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。人を呪わば穴二つ。肝に命じて生きてゆきたいですね。

ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...