2018年10月29日月曜日

ビハインド・ザ・ビート

 まあなんていうかあれですよ、どんなジャンルに於いても、ハロウィンの晩に渋谷の街頭に集まり軽トラをひっくり返して喜んでいるような連中が分け入り、はしゃぎ始めた瞬間に、そのジャンルというかムーヴメントはあっという間につまらなくなるね。あの種類の人間どもの跋扈は、そのジャンル、ムーヴメントのほんとうに面白い時期が終焉を迎えたことの象徴。

 閑話休題

 たといば気温気候のみから判断すれば冬本番というのは、私が住まう関東圏に於いていえば、十二月の末ごろから二月いっぱいと云ったところになりましょうが、太陽のムーヴからすると冬至と云って一番日が短くなるのは十二月の二十三日前後で、これ以降は日に日に日が長くなってゆく。気候からすれば冬はこれから本番を迎えるというのに、太陽のムーヴは既に冬の終焉に向かって動き始めている。これは夏に於いても同様で夏本番といえば七月以降ということになろうけれども、やはり太陽のムーヴから見ればそのピークである夏至は六月二十日前後。夏もこれからピークを迎えるというのに太陽のムーヴはもはや冬に向けて動き始めている。
 僕はここに物事の盛衰・流行の実際・本質というものがあると思っている。ある流行が人々の目にピークと映る時、その時にはもう退潮が始まっているのだと僕は思う。その流行となった事象が一番面白いのは冬至や夏至に相当する時期、つまりは多くの人々がこれは面白いと完全には気づかない時期にあるのだと僕は思う。だから流行に乗っている人、話題となり既に大勢の人が集まっているようなところへやって来る人というのは、基本的に遅れている人、感性が少しく鈍い人なのだと僕は思っている。
 いま渋谷に集まりハロウィンを楽しむパリピの人々というのはみんな感性が鈍く本質的には遅れている人なのだと思っている。そうして大概、遅れてくる連中のというのは一番でかい顔をして騒ぎ立てる。

 閑話休題

 ははは。最初に投稿した際、冬至を十一月と書いていて間抜けでした。さっき読み直して気が付いて十二月に直しましたよ。粗忽粗忽。

 閑話休題

 小林信彦大人が著した植木等氏の評伝の中にあったものと記憶するが「大衆は一拍遅れてやってくるが、見放す時は実に冷たい」という一文、それを読んで以来、そうなのかなあと思って世の中の流行や盛衰を眺めてきたが、全くもってその通り、というのが今のところの実感。

 閑話休題

 しかしどうだろうか、いま渋谷の街頭に集まり乱痴気騒ぎをしている行き過ぎた感じでハロウィンを楽しむパリピの皆さんと、かつて学生運動と称して安田講堂に立てこもり、ゲバ棒片手に神田駿河台にバリケードを築いたりして革命を気取って楽しんでいたかつての若者の皆さんたちとは、本質的に異なるものなんだろうか。祝祭というか非日常の空気に酔っているという点では変わりがないようにも見える。正義という錦の御旗がある分だけかつての若者たちの方がタチが悪いような気もする。あー、でもハロウィンのパリピ種も、ハロウィンだからマスコミがそう報じているからみんなやってるから、という錦の御旗を掲げているのか。

 閑話休題

 まあ比較するもんでもないか。いずれにせよ、どっちも一般ピーポーにとっては迷惑極まりない連中だ。

 閑話休題

 しかし当節の年寄りには碌なのがいない。
 過日、僕は近傍にある安物の回転寿しの店にランチをしに行った。開店早々の時刻だったから客はまばら。楽しいぼっち飯を後半生のテーマに掲げている僕は当然一人きり、お店の人に案内されるままカウンター席に着席した。まずは景気付け、タッチパネルでふた皿の寿しを発注し、箸を取ったり冷水を汲みにゆくなどして寿しを喰う態勢を整えた。待つこと数分、ピーピーとビープ音が鳴り、僕の頼んだ寿しがベルトコンベアーに乗ってやってくることが知れた。
 私の右手方向その遥か先に、私の注文した間八といくらの軍艦巻きがレーンに乗りその姿を表すのが見えた。待望してそれを眺めていたらどうだ、僕の三つ空けた右隣に座っていた老夫婦の夫の方が、僕の発注した寿しを平気で取り上げているではないか。奥方の方は夫の誤りに気付いたようで何事か声を掛けていたが夫の方は知らぬ存ぜぬを決め込み平気で食ってしまう。
 僕は覚えず「人の寿司食ってんじゃねぇよ」とひとりごちるように、それでいて聞えよがしと取れる声量で呟いたのだが老夫婦はあからさまに聞こえぬふりをする。仕方がないので僕はタッチパネルでお店の人を呼び出し「あそこの方が僕の注文した寿しを間違った取ってしまったようなので、間八といくらの軍艦をお願いします」と申し伝えた。老夫婦は相変わらず知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。その様子はあからさまな軽犯罪を黙秘する駄目人間のそれ。
 無駄に歳ばかり食いやがってこのくそったれが。という苛立ちを抑えつつ僕は、店員が手持ちですぐさま運んできたふた皿の寿司を受け取りうまうまと食した。ひたすらに恐縮し幾たびも頭を下げるお店の人に、あなたの責任ではないから恐縮しなくて良い、という意味のことを満面の笑顔で云い、その後、気を取り直し平気な顔をして幾皿かの寿司を食い、金を払って店を後にしたのだった。老夫婦は最後まで私の方を見ようとはせず、どころか私に気付いていないふりを懸命に続けるという馬鹿丸出しの感じでカウンターに張り付いていた。しかし当節の年寄りには碌なのがいない。

 閑話休題

 やはりこれも連中、団塊の世代とかなんとかいって、人間の数が無闇に多いからこういう碌でもない年寄りが多くなるんだろう。比率の問題なんだろう。
 しかしそうして考えると、団塊の世代に次いで無闇に人数が多い団塊ジュニアと呼ばれる我々にも多分碌でもないのが多いんだろう。願わくば僕自身がその碌でもない連中の中に入っていないといいんだけど。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。まあ早ければ再来年にはベイスターズ三浦大輔監督の誕生ですよ。オバQが代理監督をやったのを覗くと、生え抜きが監督になるのは2004年までの山下大ちゃん以来になるのかな。この間に大魔神も谷繁も石井琢朗も、我がチームの監督・コーチになっていない事実が、いかにゼロ年代の球団運営がひどかったかの証左のひとつ。

2018年10月22日月曜日

吉凶は糾える縄の如し。

 そうして僕は生まれてこの方初めて、ブロック後に即ブロック解除をして相互フォローを無かったことにするという随分なことを、よく知らない人からされたのだった。

 閑話休題

 なんだか知らないうちに世の中は動いてしまっていて、ボクシングの人やアマレスの人やアメフットの人が揃ってパワハラを働いた廉で世間から鋒鋩打たれたことなど世の中的にはすっかり過去のことになっているが、その早々に過去のこととなってしまった事実が僕には恐ろしく思える。話題の消費が激し過ぎる気がする。
 インターネットの世界では人が最上のコンテンツになるとテキストサイト全盛の頃からずっと思っていて、それを主題とした作品をいくつか作っていたりする僕ですが、愈々、世の中全体が人を最上のコンテンツとする時代に完全に入ってしまったのだろうなあという気がします。

 閑話休題

 聞けばジュリーはさいたまスーパーアリーナでの公演について当初から動員に不安を覚えていたというではないか。その話は又聞きだから本当かどうかはわからないままに発言するんだが、だとしたらさいたまスーパーアリーナでイケると判断した関係者が一番悪いんじゃないの。

 閑話休題

 ただ、ファン心理としたらあの日のさいたまスーパーアリーナに行っていたジュリーのファンは、ある種の勲章的にその日のことを記憶するだろうね。
 私だって独演会なのに立川談志家元が来ずに、志らく師なんかが繋いでいたあの日の中央会館(現在の銀座ブロッサム)のことはとても良い体験として記憶に残っている。終わる間際になって家元現れたよ。
 こういうことがあったときに本質的に意見を云えるのは木戸銭を払って現場に足を運んだ観客だけ。ニュースで知っただけなのに怪しからんとか偉そうに云ってる連中はみんなくるくるパーだ。
 あとジュリーの由来はジュリー・アンドリュースのファンだから氏のことをジュリーと渾名したんだよな確か。

 閑話休題

 RPGツクールはようやくシナリオを打ち込む段階まで来た。ゲームを作っているわけではなくて、ただただ自動実行されるばかりのシットコムを作っているので、果たしてちゃんと動作するかどうかよくわからない(ブラウザ上で実行するとメモリ不足なんかの不具合が出るケースがあると聞いているし)。それにシナリオ形式で何かを作るのが久しぶりだからシナリオの書き方も全然駄目になってて、ツクールに入力する段階でどんどん直しながら作っている。思えば昔はコメディタッチの刑事ドラマ動画とか作ってたんだけどな、声優の卵の皆さんに協力してもらってさ。まあなんにしても作るという行為はとても楽しいから、たといのんびりとでもやって行こう。どこかで私の作るものを楽しみにしてくれている人もいるだろうし。なにより私は私の作品のファンなのでね。

 閑話休題

 過日、電車に乗っていたら大塚家具の社長さんにそっくりな妙齢の女性が乗車してきたから僕はちょっと面白い気分になった。やっぱりこの人も大塚家具のお家騒動の時には”家具屋姫”とか云われて知り人からかわれたんだろうなあ、なんて思って。

 閑話休題

 しかしいまなにより嬉しいのはオバQ田代富雄が打撃コーチとして我がベイスターズに復帰するということを報道により知ったことで、いやほんと、あの頃オバQに酷い扱いをして出て行かざるを得ないようにしたTBSの連中は今からでも遅くないからまじ土下座しろばかやろう。俺の少年の日のヒーローをさんざっぱらコケにしやがって。

 閑話休題

 不図思う。金足農業の吉田君がプロ野球界に入り、前評判に違わぬ活躍を十五年も二十年も見せ続けたとして、果たして僕は彼の野球人生を全て見続けることができるのだろうかなあ、ということなんでありんす。
 あれは一年ほど前だったか『ヤングタウン土曜日』のラジオを聞いていたら明石家さんま師が、当時番組にレギュラー出演していたその頃十七歳の工藤遥嬢に対して「工藤の四十代は、まあ見れんやろなあ」と云っていたのを聞いて以来、どうもそういう考え方を僕もするようになってしまった。実際棺桶に片足突っ込んでるような現在でもあるしね。

 閑話休題

 という感じで自分が病に臥せっているみたいなことを匂わせて人の関心を呼ぼうとする人間ってほんと迷惑ですよね。風邪引いただけでもそういうこと云うのいるでしょう。病を世の中を渡る武器に使ってる不逞の輩って確実にいるからね。

 閑話休題

 僕はこのところ空いた時間には決まってニンテンドースイッチ『進め! キノピオ隊長』で遊んでいたのだが、いやほんとこれは面白いゲーム。年端の行かない子供でも遊べるパズルゲームだから難易度がそれほど高くはないのだけれど、それでいてしっかり頭を使わなければクリアできないように出来ていて本当にちょうどいい面白さ。かてて加えて任天堂のキャラクターの中では断然トップの感じでキノピオが好きだしね僕ぁ。
 それでも約七十面ほどある本編をクリアしておまけの面に入るとしっかり難しくなって、もう僕などの力では完全クリアをするのは到底不可能となるのだけれど、本編部分だけでも本当に面白いしよく出来ている。さすが任天堂。もっと高く評価されていいゲーム。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。グーグルアドセンスから八千円もらえるまで二年半くらいかかるよ僕の場合。いっそ俺もライバーになるかねって絶対ならねぇあんなもの。つーか人前に出られるような人間だと思ったことなど一度もないしね。成り行きで出たことは何度かあるけど、その度に後から落ち込んでばかりだったもの。




2018年10月5日金曜日

こっちの水は甘いかね

 しかしまあ芸能人というのはそこが日の当たる場所だと認めるや何処へでも平気で出張ってくるよなあ。そら本田翼がYouTuberとしてゲーム実況をするというのならば、彼女のこれまでを思ってなんの違和感もない。けれども、そうした核となるものを持たない芸能人が、ただただ自らの知名度のみを頼りにYouTuberの世界に続々参入してきている、なんてな報道が耳目に触れるたんび、ほんとこいつら恥も外聞もなにもないんだな、世間の光が差し込んでくるところであれば何処へでも出てくるようなみっともない連中なんだなと強く思う。

 閑話休題

 そら私自身はYouTuberの存在というのは素人の変なノリを見ているときの気恥ずかしさを感じてしまってあんまり好きではないけれども、それでも今までにはないムーブメントが起こっているのだからそれはそれで面白い、こういうムーブメントが次々に現れることで時代は動き変わっていくんだろうと思って見ていた。けれども、そこへすでにテレビなど既存のマスコミで大変な知名度を誇る芸能人の人たちが入ってきた瞬間、それはムーブメントではなくなりテレビの再発明にしかならなくなる。時代の動きにブレーキがかかるから凄く嫌だ。

 閑話休題

 いまから十年ほど前だったか、真鍋かをりが”ブログの女王”などと云って持て囃された時も凄く嫌だった。お前ら芸能人は向こうの世界でちゃんと食えてるんだからわざわざこっちくんな、と強く思った。手前らが来たが最後、インターネットという我々の楽しい遊び場・空き地に作った秘密基地はあっという間に取り壊されてただの都会になっちまうじゃねぇか。そう危惧していたら案の定、その後すぐに雪崩を打つように芸能人がブログに参入してきて、それまでのインターネットに充満していた”ここにしかない空気”は、憐れあっという間に霧消した。ほんとまじふざけんな。こっちくんな馬鹿野郎。

 閑話休題

 と、そんなことを思ったり云ったりしたところで現実は事実であり正解なのだから、それが嫌ならそこから退場するしかないのもまた事実。嫌だけど仕方がない。粛々と時代を受け容れつつこうしてジジイの繰り言をするしか手がない。情けないがこれが現実だ。秘密基地であすんだ楽しい時間・時代があって、そこを生きたという記憶を大切にするしかないね。

 閑話休題

 さて話は本当に変わるが、いやあ面白いねぇ『まんぷく』。朝ドラにありがちな変に歯の浮くような”やさしいだけ”の空間がなくて、なんだか見ていて知らぬうちににこにこしてしまうようなドラマになっている。ストーリーの緩急のつけ方も見事。そうしてなにより安藤サクラの演技上手なこと、これはまじで化け物レベル。『カーネーション』とはまた違うタイプの傑作ができるのじゃないかという予感がくんくんに漂っている。

 閑話休題

 しかしその『まんぷく』の第一回が放送される前の晩、我が住処のテレビアンテナが台風の風によって顛倒したのであった。仕方がないから第一回の放送を見るためにNHKオンデマンドに加入、無料で配信されていたその放送を見たのだった。
 しかしこの顛倒事件によってもうテレビアンテナおよびテレビ放送がなくても平気かも知らんなあ、と強く思ったのだった。だってそんなに困らなかったから。でも本当に時代がそうなってテレビを必要としなくなったら、NHKはネットユーザーから受信料を取ろうとあらゆる手段を駆使してくるだろうね。どんな搦め手を使ってくるか寧ろ楽しみだ。

 閑話休題

 松坂世代が続々引退する、 と聞くとなんだか九十年代が暮れていくような感慨に浸りがちだがそれは謝り、実際には、ゼロ年代を形作ったプロ野球選手たちが去って行くんである。気がつけば二十一世紀が歴史になりつつあるんである。気がつけば振り返って感慨に浸りたくなるような長い時間が経ったんである、世紀が改まってから。弱っちゃうよなあ時代の進みが早くなって。

 閑話休題

 しかしこれからは自転車で日本一周をすると間違いなく方々で職務質問をされることになるだろうね。

 閑話休題

 貴乃花が馳浩の元を訪れたという報道を聞き及んでまず思ったのは、いまのプロレスを相撲出身の人がやるのは無理だろうなあ、ということでありんす。オカダ・カズチカやら飯伏幸太やらケニー・オメガたちが展開する九十年代ジュニアを祖とする急峻な展開の試合を相撲出身がやるのは無理だろう、というか他の格闘技を経験していると逆に難しいのじゃないかとすら思う。そのくらいいまのプロレスは進化をしてしまっているように思う。我が国のプロレスの歴史は力道山から始まってるから、かつては相撲からくるレスラーばかりだったんだけどね。吾輩がガキの時分に見ていた頃の全日本プロレスなんて半分くらい相撲出身者だったよ。プリンス・トンガとか。ってまあ貴乃花は別にプロレス入りの相談をしに行ったわけではないだろうけど、相撲取り廃業→プロレスへ、が当たり前だった時代をずっと過ごしてしまったんでね。

 閑話休題

 嗚呼、いま気づいたけど、輪島が全日本プロレスに入った時ってまだ三九歳だったんだよなあ。すげえオッサンに見えたけどいまの貴乃花よりよほど若かったんだ。うーん、久しぶりに枕を相手にゴールデン・アーム・ボンバーの練習でもしようかね。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。スポーツ冒険家って憶えてますか。元横綱双羽黒が廃業後に名乗った職業だったんですがね。



2018年9月28日金曜日

時代を見ながら背を向ける

 人から褒められるというのはやはり嬉しいもので、先日、僕は比較的新しい知り人にこのサイトのことを教えた。これまでサイトをやっていることを、ネット以外で知り合った人に話したことはなかった。なぜならいい思いをしたことが殆どなかったから(多くの場合は理解されず軽侮の空気が漂う)だ。しかしこの比較的新しい知り人は創作活動に勤しんでいると知れたから喜び勇んで教えた。
 その知り人は僕のサイトを見て「言葉でいろんな感情を表現する著述家ですね」と感心したように評してくれた。人から褒められるのはやはり嬉しいもので僕はとても嬉しくなったが同時に恥ずかしくもあったから気の利いた返事ができずにぼう、としてしまった。
 しかし褒められるのは、お釣りが来るほどのおっさんと成り果てた僕でもこんなに嬉しいんだら、みんなもっと人を褒めたらいいと思う。特に小供とかはぐんぐんに褒めたらいいと思う。褒められりゃみんな嬉しくなってどんどんやるよ。

 閑話休題

 「著述家」ってのは褒めてるよね。あんまり罵倒の時に使う言葉じゃないものね。「やーい、お前の母ちゃん著述家ぁー」とは言わないものね。

 閑話休題

 その比較的新しい知り人の創作ジャンルは音楽のそれなのだが、その作品は玄人はだしというかまじ玄人のレベルだったので大にびびった。

 閑話休題

 話はまじで変わるが先日公開されたMac OSの最新バージョンであるMojave。早速愛用のMac mini2014にアップデートをかけようと、App Storeからダウンロードをしてインストールを開始したら残り五十三分のところですっかり止まってしまった。不安いっぱいの心境で祈るようにして画面を見つめていたのだが、三十分以上そのまま何らの動きもない。
 普段は万事鈍間なのに変なところで気が短い私は、遠く亜墨利加はクパチーノに向かって呪詛の言葉を吐きつつ立てた中指でそのまま電源ボタンを長押し、強制再起動を試みた。するとどうだ、程なく黒の画面にエラーが起きたことを示す文言が表示されるいわゆるカーネルパニックの状態になってしまった。
 負けるもんかと再度強制再起動を試みるが状況は同じ。「同じことを繰り返して違う結果を期待することを狂気という」という、えーと誰が云ったんだっけかこの言葉は、タイガー・ジェット・シンだったかな、ってあれは狂気じゃなくてインドの狂虎か。まあ誰でもいいや、とにかく私はそういう真理を言葉で知っているからすぐに強制再起動を諦めて、リカバリーモードで起動した。
 よかった。リカバリーモードはちゃんと起動したからそこで起動ディスクを検査したところ問題は見つからず、そうだこうなったらバックアップから復元するよりもクリーンインストールをしようと思ってそうした。
 果たせるかな、クリーンインストールは無事に終了し見事私のMac mini2014は最新のOSを纏うこととなったのだった。

 閑話休題

 OSをアップデートする際はクリーンインストールの方が断然いいというのは、頭ではわかっていてもその後、環境を再現するのが面倒でつい上書きアップデートを選んでしまう。パソコンを使い始めて三十余年、思い返せば環境を再現するための苦労をどれほどしてきただろう。アプリケーションのインストールとアクティベート、ブラウザのブックマークの再現、環境設定の再現などなど膨大な作業が待っていてどうかすれば一日がところ平気でかかってしまう。そうしてまた、パッケージで購入したアプリケーションに封入されている登録コードを紛失していてそのアプリケーションが使えなくなったりする。
 と、思っていた。そういうものだと思い込んでいた。思い込むことで思考停止していた。
 それがどうだ、いまや気がつけばアプリケーションはApp Storeをはじめとしてネットからダウンロードするのが当たり前。アクティベートはApp Storeのアプリケーションならダウンロードのみでそのまま使え、外部から購入したアプリケーションも全てネットで購入したものだから、再度ダウンロードしたのち、購入時にメールにて送信され保管された登録コードなどを入力すれば簡単に使える。ブラウザのブックマークはクラウド上に保管されたものを参照し自動で復元される。環境設定も昔ほど複雑なものはなくinitやcdevを弄っていたのは遠い昔、バックアップの設定すらTime Machine用のディスクを接続すれば勝手にやってくれる。
 結果として三時間もかからずに以前とほぼ変わらぬ環境を再構築することができた。おまけにクリーンインストールをしたから永らく使っていなかったアプリケーションやゴミ箱に入れっぱなしのデータ、不要なダウンロードしたデータなどが綺麗さっぱり消えたからMac自体の動作がキビキビするという嬉しい結果となった。
 失敗は成功のマザー。といえば長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督にして嘗てミスターサンヨーだった人が云った有名な言葉だが、その通り、今回私は失敗から大いに学んだ。かつてあれほど苦しめられたクリーンインストールと環境の再構築も、いまや鼻歌交じりで出来るようになっていた。如此く時代は知らぬ間に進んでいる。進んで行ってしまっている。そうしているうちにやがて時代についてゆけなくなるのだろう。まあその時はまた失敗という成功のマザーを頼ればいいか。いいやな。それでいいや。

 閑話休題

 ああそうそう、いま上のトピックで「思考停止」と書いて思い出したけど、あのー、ネット発祥の言葉、いわゆるネットスラングってのはさあ、気を付けないと思考停止のための言葉になっちゃうよね。なんてのかな、定義づけがやがて決めつけになりついには思考停止に至るというか。たといば誰かが「あの連中は要するに”アンチ”なんだよ」と定義づける。するとそれを読んだ少し足らない人が「そうか批判者をアンチと呼べばいいんだ」と思って批判する人を見つけると”アンチ”と決めつける。するとそれを読んださらに足らない人が「そうかあいつらはアンチなんだからそう思って無視すればいいんだ」とついに批判の中身に思いを巡らすことなく思考停止してしまう。そういう効能を強く持つのがネットスラングと思う。

 閑話休題

 まあそういうわけでお後がよろしいようで。時代は進んでいますが私は何も進んでいません。相も変わらずホームページを運営しています。十年一日とはこのことでしょうかね。まあいいか。まあいいやね。好きでやってることだ、時代のことなんか知ったことか。



2018年9月23日日曜日

おもしろいことをまじめに

 そういうわけで今日は朝から少しばかり自分のサイトをいじっていた。なに新しい作品をアップしたということではなくて、過去の作品の中でムービー形式で作ったものをyoutubeにアップしたとか、そういう他愛のないことだ。本来ならば嘗てFLASHで作った作品をHTML5形式かなんかに作り変えるのがやるべきことなんだろうが、なにぶん作ったのがもう五〜十五年も前で作り変えるには遅すぎる。旧ガベコレで作った作品などはもう.flaファイルすら散逸してしまったし仮にそれがあったとしても、AdobeのAnimateに課金をしてまで直そうという気力は失われてしまっている。それでもAction Scriptを使っていない作品などでムービー形式に作り変えてあったものも見つかったからそれらのリンクを貼り直すなどした。尻切れとんぼだけどジェントルマンなんかいま観ても結構面白いよ。

 閑話休題

 旧ガベコレで作ったような古い作品については、今となってはどんな素材を使ったのか不明なものがほとんどだ。BGMなどは当時から留意して著作権フリーのものを使用していたのだが、時間が経ったことによりそれら楽曲の著作権管理も変わったのだろうか、youtubeにアップしたとたん、著作権侵害の申し立てが続々寄せられていて少しくびびった。が、youtubeからの通知によれば、楽曲の著作権を持っている皆さんが私の作品の勝手に広告を入れ、その収益を独り占めするからそう思え、ということらしいので、まあそのままにしてある。まあなんとかなるでしょう。今更大層なアクセス数があるとも思えないし。

 <a href="http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/classics/classics.html" target="_blank">http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/classics/classics.html</a>

 FLASH形式のものもありますが、わざわざ危険なFLASH再生のプラグインを入れるような無理をしてまで観ないでくださいね。そこまでしてわざわざ観るほどの面白さはありませんから。

 閑話休題

 それにしても今年はいろんな人が亡くなり過ぎだ。『ラジオビバリー昼ズ』を聴いていたら高田文夫先生が「どんな偉い政治家や野球選手が亡くなるより、面白い人が亡くなるのが寂しい。十、笑わせてくれたぶん、十、余計に寂しくなる」と云っていて全くその通りだと思った。面白いのが一番えらい。そう思ってなんとか死ぬまで生きていたいね。

 閑話休題

 まあ月に三百円ぐらいなら払えるだろうと思って任天堂スイッチオンラインに加入したのだが、やはり加入前に想像した通りファミコンのソフトばかりであすんでいてしょうがない。しかし久しぶりに遊んだどのゲームもすっかり下手になっていて我がことながらびっくりする。ベースボールは全然打てないしテニスはサーブもままならない。グラディウスは一面クリアすらおぼつかないし魔界村をあすべばすぐにパンツ一丁だ。それでも楽しくあすんでいる。往時を思い出したりは特にしないが、やっぱりあの頃のゲームはおもしれーや、ひとつの時代が出来上がっていく登り坂にあった頃だからおもしれーや。と思ってくんくんになってあすんでいる。

 閑話休題

 本当に面白いってなんなんだろうなあ。ファミコンのゲームなんて当節のそれに比べたらグラフィックもサウンドも操作性もボリュームも、どれを取ってもショッパイのにつまらないというわけではないんだよなあ。勿論、それらレトロゲームには自分の小供時代の記憶とリンクしているというアドバンテージはあるにせよ、それを割り引いたとしても存分に面白い。
 いまから十年ちょっと前の話だが、当時隣家に住んでいた小学校二年生の男の子にWiiのバーチャルコンソールで初代の『スーパーマリオブラザース』をあすばせたら、他のWiiのゲームよりも熱中してしまいあすびに来るたびにスーマリをせがまれるようになったことがあった。
 ほんと、面白いってなんなんだろうなあ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ここんところニュースの類を見ていないので世の中のことがよくわかりません。総理大臣が留任したのは知ってます。新潮社の偉い人がなんか云ってたのも知ってますが何を云ってたのかはよく知りません。まあそんな体たらくですがなんとか笑いながら生きてますよ。結構愉快な暮らしぶりですよ。

2018年9月7日金曜日

物情騒然vs泰然自若

 ぼうとしている間にいろんなことが起きています。軽々しく触れていいことやそうでないこと、様々なことが起きています。思うところは色々あれども、いま自分がなすべきことは普段の通りの生活を営むこと、それ以外にありません。そうして自分のできる範囲で自分のできる事ができたらいいと思っています。

 閑話休題

 私の身内にもいるのだけれども大きな自然災害が起こるたび、それを報じるテレビを熱心に見ながら「大変だ」「気の毒だ」と繰り返し言っているだけの人がいる。じゃあその人、百円でも寄付をするのかといったらそんなことは一切しないでテレビの前で寝転がって屁をこいている。そうして毎日テレビを見て新聞記事を読んで大変だ大変だとあほうのように繰り返している。きっとこの人の脳の中では災害のニュースもテレビドラマも同じテレビの画面の中の出来事でしかないんだろう。ゲーム脳よりもテレビ脳の方が深刻の度合いは深いんじゃないか。

 閑話休題

 ああ気がつけばもう九月。あれほど暑くて嫌だった夏が終わると思うとなぜだか心が寂寞する。もうおっさんなのに。秋になるとどうしたことか僕は決まって中学二年の時のこの頃を思い出す。放課後教室に残りうだうだしていたときの気分を思い出す。けれどもその気分は本当にそのとき感じていた気分なのかどうか、もうお釣りがくるほどのおっさんと成り果てた僕には判断がつかない。いやにはっきりとした夢を見た後の寝覚めの気分のようにも思える。『台風クラブ』でも観直そうか。

 閑話休題

 ってほら、こんな感じでなんかおセンチになっているセプテンバーの僕。すみれセプテンバーラブ。それは一風堂。あああのゴーフルの美味しい。それは風月堂。

 閑話休題

 なんかさあ「吉澤ひとみ容疑者」って表記をいろんなニュースサイトや新聞社が使ってるけど、なんかどの報道メディアも、数ヶ月前に「山口メンバー」としか表記できなかったフラストレーションをここにぶつけてる感じがするなあ。連中、大喜びで「吉澤ひとみ容疑者」って書いてる感じがする。総体的に下品だよどのマスコミも。

 閑話休題

 訳あってGoogle Homeを手に入れたのだけど、うーん、言葉に対する反応や動作のキビキビした感じはGoogle Homeに軍配が上がるんだけど、Amazon Echoの方が反応に人間味が感じられるんだよなあ。Google Homeはお手伝いさんとして有能、Amazon Echoは話し相手になってくれる顔見知り、みたいな感じ。一長一短だけど、時流に乗ってるのは明らかにAmazon Echoの方だわな。Googleはこういうプロダクトというのか、商品を発展させるのあんまり上手じゃないしね。Google+だとかNexusだとか、作ってはほったらかしの数々のメッセンジャー系アプリとかみんな駄目だし。あとSiriはこれだけ遅れちゃうともうスマートスピーカーに行くのは難しいんじゃないのかな。クローバーとコルタナは触ったことがないからわからない。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。Mac miniに27インチのWQHDのディスプレイをつなぐとどうなるんだろうなあ。やっぱり文字とか小さくなっちゃうのかなあ。


2018年8月29日水曜日

一期一会でゴー

 『ちびまる子ちゃん』と云われて思い出すのは、あれはいまから三十年ぐらい前だったか、景山民夫氏が深夜にやっていた対談番組のゲストに来たいとうせいこう氏が、まだアニメになっていない時点でこの漫画を激賞していたことで「ここに描いてあるように子供って色々計算してるんだよね」みたいなことを云っていたのを、そうなんだあ、でも少女漫画の雑誌に連載されているんじゃ手が出ないなあ俺高校生だし、というか、いとうせいこうみたいな人になると少女漫画も読むんだなあ、と思ったのを憶えている。
 人の運命だから死ぬのは悲しいし残念だけど、さくらももこ氏という類稀なる才能を見られたことを良しとするしかないよね。客というのは結局観ることしかできない。だから一生懸命観なくちゃいけないんだと思うよ。

 閑話休題

 それにしても今年は色々な有名人が亡くなる。図抜けて暑いからだろうか。それぞれの人にそれぞれの思い出があるけれど、思うのは、いまの若い人にとってはほとんど意味を為さないことなんだろうなあということ。いくら私が左とん平やマサ斎藤が亡くなったことに衝撃を受けいろんな事を思っていても、それら人々の事をよく知らぬ若い人にとっては、なんか有名だった人が死んだみたいだけど。ぐらいの感情しか起こらんのだろう。
 これは私自身にしてもかつてはそうだったのであり、具体的には、私が小学六年生の時にわが国を代表する名優・志村喬が亡くなったのだがまったくピンとこなかった。なんらの感情も起こらなかった。志村けんのことを連想しただけだった。『男はつらいよ』を観ていなかったし増して小津映画など観ていようはずがない。
 解剖学者の養老孟司氏が「死とは身近な人、自分が知っている人についてのみ死としての意味を為す」みたいなことを云っていたと記憶するけど、ほんと、そんな感じだよなあ。私の知らない人が私の知らないところで死んだところで、そら周囲の人々は大変に悲しいだろうと想像はするけれども、それを思って泣くようなことはないものね。

 閑話休題

 ニンテンドースイッチで『ウルフェンシュタイン2』なるFPSゲームをあすび始めた。恥ずかしながらFPSをあすぶのが産まれて初めてだからまだ要領がよくわからず、とりあえず頭のおかしいナチの連中をマシンガンで撃ち殺せばいいのだろうと思ってじゃんじゃんバリバリ撃ち殺しまくっている。私はゲームが下手だから難易度を最高に易しくしているからいやもうマジでジャンジャンばりばり撃ち殺しまくっている。つってもまだ三時間くらいしかあすんでいないから云うほどでもないんだけど。
 しかしゲームそのものが残虐であることは否めず、やっぱり年端の行かない小供にはあすばさない方がいいよなあ、とは思う。しかしながらあすばせていい年齢というか判断力がついた人であれば別段問題はないとも思う。すべてはユーザーなり買い与える人間なりの責任だ。

 閑話休題

 でもこれ「第二次大戦に勝利してアメリカを占領した」なんていう架空のナチが相手だから平気で撃ち殺すけど、リアルな時代考証がされた中での殺し合いを要求されたとしたら流石にちょっと無理だな。

 閑話休題

 どういう風の吹き回しか知らないが、ニンテンドースイッチは、これまでの任天堂のゲーム機ではあり得なかったようなCEROレートのゲームが発売されていて驚くネ。

 閑話休題

 町田康氏が著した小説『ギケイキ②』読了。いやあ相変わらず面白いねぇ。義経は死なずにジンギスカンになった的な伝説を取り入れて、現代まで生きている義経、みたいな設定で物語を語らせているんだろうけど、なんてのかなあ、氏の小説を読んでいていつも感ずる言葉の選択の見事さが、このシリーズではいつも以上に炸裂していてそのリズムに身を委ねるのがとにかく心地よい。義経が都落ちするところまで来たから多分これからますます面白くなるんだろうなあ。

 閑話休題

 Amazonビデオでレンタルした『リメンバーミー』を観た。ピクサー&ディズニーのやり口になど乗るものか、連中の掌の上で踊らされてたまるか、と思って歯を食いしばって観ていたのだが、くそう。結局感激して大泣きして観てしまったじゃないか。すべてを観ているわけではないから迂闊を承知で云うんだけど、ピクサー製のアニメの中で一番いい映画じゃないだろうか。エル・サントってやっぱりメキシコだと説明不要の英雄扱いなのな。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。うーん、やっぱり我がベイスターズにあってラミちゃんの役割はそろそろ終わりのところに来た感じだなあ。もう一年やらせてみたい気もするけど、違う風を入れる頃合いだろうなあ。伸び盛りのはずの選手が一様に頭打ちになっちゃってるし。あるいはコーチ陣の入れ替えかなあ。いまのベイスターズだったら監督コーチをやりたいと思う関係者も多いだろうね。




ありがとうございました。これからもよろしく。

 とりあえずこのWeb日記と云い張っていたブログは今日でおしまいにします。  閑話休題  昨年の五月、置かれた状況・環境に翻弄されてすっかり減退してしまった創作意欲に再び火をつけて、みやかけおを再起動するのを目的に、ブレインストーム的にブログを始めたのですが、あれから一年...